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'''伊藤 俊人'''(いとう としひと、 [[1962年]][[2月16日]] - [[2002年]][[5月24日]])は[[新潟県]][[新潟市]]出身の[[日本]]の[[俳優]]。[[左利き]]。
 
==人物==
[[新潟明訓中学校・高等学校|新潟明訓高等学校]]、[[日本大学]]藝術学部演劇学科演技コース卒。大学時代は[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属した
 
[[1983年]]に脚本家[[三谷幸喜]]らと劇団[[東京サンシャインボーイズ]]を旗揚げしたと思われているが、後期のメンバーである。三谷とは日藝の同期であったが、卒業後は就職しサラリーマンになっていた。しかし、ある時三谷と再会サンシャインボーイズへ参加することとなった。初参加は[[1990年]][[7月]]の『[[12人の優しい日本人]]』初演舞台から。以降のほとんどの三谷作品に出演している。[[2000年]][[10月]]、『[[ショムニ (テレビドラマ)|ショムニ]]』の撮影で出会ったスタイリストの女性と交際半年でスピード結婚。
 
『[[踊る!さんま御殿!!]]』に出演した際に、ドラマで見せるしっかりした演技とは裏腹にオドオドした素の顔が明らかになり、さまざまなバラエティ番組に呼ばれた。
 
2002年[[5月24日]]午後5時18分、レギュラー出演していたテレビドラマ『ショムニ』の続編『[[ショムニFINAL]]』の撮影数日前に[[クモ膜下出血]]のため、40歳の若さで急逝した。通夜は5月28日、告別式は5月29日から、共に東京都中野区の宝仙寺で行われた。この時『ショムニ』の出演者で会見に応じたのは[[石黒賢]]のみであったが、会見中はばからず涙した。葬儀委員長は三谷、喪主は妻がそれぞれ務めた。遺体は[[新宿区]]の[[落合斎場]]で[[火葬|荼毘]]に付された。
 
『ショムニFINAL』の第1回は、彼伊藤の追悼のために捧げられ、第一回のエンディングで「ご冥福をお祈りします」とのテロップが付された(『ショムニFINAL』以降は野々村課長の代役を立てず、海外赴任中という設定になっている)。
 
黒ぶちのメガネを使うことも多い、個性派名脇役であった。『真実を追う男』が最後の出演番組となり、死後、2002年[[11月11日]]に放送された。
108行目:
*『南太平洋』
*『Vamp show』
*『[[12人の優しい日本人]]
*『returns』
 
118行目:
*『[[ウンナンの気分は上々。]]』
*『[[鶴瓶のスジナシ!|スジナシ]]』
 
== 関連項目 ==
*[[日本の男優一覧]]
 
==外部リンク==