伊藤俊人

日本の俳優 (1962-2002)

伊藤 俊人(いとう としひと、1962年昭和37年〉2月16日 - 2002年平成14年〉5月24日)は、日本俳優新潟県新潟市出身。名バイプレイヤーとして様々なドラマに出演したが40歳の若さで急死した[1]

いとう としひと
伊藤 俊人
生年月日 (1962-02-16) 1962年2月16日
没年月日 (2002-05-24) 2002年5月24日(40歳没)
出生地 日本の旗 日本・新潟県新潟市
身長 167 cm
血液型 A型
職業 俳優
活動期間 1989年 - 2002年
活動内容 1989年:東京サンシャインボーイズに参加
1994年:古畑任三郎シリーズ
1998年:ショムニ
配偶者 一般女性(2000年 - 2002年 死別)
主な作品
テレビドラマ
古畑任三郎』シリーズ
巡査・今泉慎太郎
王様のレストラン
ショムニ』シリーズ
舞台
12人の優しい日本人
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人物

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新潟明訓高等学校日本大学藝術学部演劇学科演技コース卒業。大学時代は落語研究会に所属。

三谷幸喜らによる東京サンシャインボーイズ旗揚げ時(1983年)のメンバーとされることがあるが、実際の活動時期は後期メンバーにあたる。三谷とは日藝の同期で親友でもあったが、卒業後は就職しサラリーマンとなった。ある時に再会し、サンシャインボーイズへ参加(初参加は1990年7月の『12人の優しい日本人』初演から)。

以降、ほとんどの三谷作品に出演。『王様のレストラン』のギャルソン・和田役、『巡査・今泉慎太郎』の桑原技官役などで知名度を上げ、そのほかのテレビドラマにも数多く出演した。1998年4月からは『ショムニ』の野々村人事課長役で出演し、同役の上司である寺崎人事部長役の高橋克実とのコンビで人気を博す。

2000年10月、『ショムニ』の撮影で出会ったスタイリストの女性と交際半年でスピード結婚。

2000年9月、『踊る!さんま御殿!!』への出演時、ドラマでの堅固な演技とは裏腹におどおどした素の顔を見せ、その後もさまざまなバラエティ番組に出演した。

2002年5月22日正午、激しい頭痛を訴え救急搬送される。検査の結果、クモ膜下出血と診断され緊急手術を受けた。一時意識が回復するが、24日に意識不明となり容態が急変。17時18分、同疾患のため死去[2]。40歳没。通夜は5月28日、告別式は5月29日に東京都中野区の宝仙寺で行われた[2]。葬儀委員長は三谷、喪主は伊藤の妻がそれぞれ務めた[2]。東京都新宿区落合斎場火葬された。

ショムニ

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亡くなった日は、レギュラー出演していたテレビドラマ『ショムニ』の続編『ショムニFINAL(第3シリーズ)』の撮影開始数日前であった。この時、『ショムニ』の出演者で会見に応じたのは石黒賢のみであったが、会見中はばからず涙した。

『ショムニFINAL』の第1回は伊藤の追悼に捧げられ、エンディングにて「ご冥福をお祈りします」のテロップが付された(『ショムニFINAL』以降は野々村課長の代役は立てられず、海外赴任中との設定となった)[3]

評価

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黒ぶち眼鏡をかけることが多い個性派俳優だった(ショムニをはじめ一部ドラマでは眼鏡をかけていない)。しばしば名脇役と評されるが、伊藤が亡くなった際、三谷は「彼は名脇役ではなく、脇役もこなせる名優だった。」と、親友の死を悼んだ。『真実を追う男』が最後の出演番組となり、自身の死後である2002年11月11日に放送された。

2009年、東京サンシャインボーイズ復活公演「returns」では、生前時の伊藤の声を抽出したいわゆるライブラリ出演で仲間との共演を果たす。

出演

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テレビドラマ

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映画

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舞台

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バラエティ

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脚注

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  1. ^ 戸田恵子、40歳で急逝の名優・伊藤俊人さん偲ぶ“ショムニ会”「23年経ちました」「伊藤ちゃんの分も長生きしようぜ!」
  2. ^ a b c asahi.com : おくやみ : 速報 テレビ「ショムニ」などで活躍 俳優の伊藤俊人氏死去」『朝日新聞朝日新聞社、2002年5月25日。オリジナルの2002年6月4日時点におけるアーカイブ。2019年5月28日閲覧。
  3. ^ FINAL以降は第2シリーズで海外事業部所属で出演していた正名僕蔵が人事部に異動という形で、高橋演じる寺崎の相方となり、事実上の伊藤の代役を務めた(ただし、課長の肩書きはなく平社員の設定)。

外部リンク

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