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→‎SASとフィンエアーの関係: 一般の人々でも検証可能とされる参考文献の内容に従った記述のため。
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1960年にフィンエアーの新社長に就任したコルホネンは、すぐにSASとの協議を再開させ、[[1961年]]にSASとの共同運航が再び再開されたものの、[[1969年]]にフィンエアーが単独で北大西洋路線である[[ニューヨーク]]線を開設すると同時に、突然SASから共同運航を破棄され、また、デンマーク航空当局もSASからの圧力を受け、フィンエアーの[[コペンハーゲン]]への運航権を取り消されるという事も起こり、便数制限付きの暫定的な飛行許可で運航していた<ref>参考文献『白夜の国のヒコーキ物語』「そしてフィンエアーはSASに参加しなかった」78頁1項より、78頁24項まで参照</ref>。
 
しかし、こうした経緯を経て、SASはフィンエアーと競合する路線において、想定していた損益よりも、[[北欧]]に複数の航空会社が存在する事による、営業促進力と市場訴求力の方がはるかに大きいと判断し、次第にフィンエアーとの関係は改善されて行った<ref>参考文献『白夜の国のヒコーキ物語』「そしてフィンエアーはSASに参加しなかった」78頁25項より、78頁36項まで参照{{要検証|date=2013年6月}}</ref>。1990年代になり、世界的な航空業界再編と[[航空連合]]の時代に入ると、フィンエアーは[[1999年]]に[[ワンワールド]]に加盟[http://ja.oneworld.com/member-airlines/]し、SASは[[1997年]]に[[スターアライアンス]]の設立メンバーとして加盟[http://www.staralliance.com/ja/about/airlines/scandinavian_airlines/]し、それぞれ独自の道を歩む事となった。
 
== フィンエアー・カーゴ ==