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'''パンク・ロック''' (Punk Rock) は、[[1970年代]]中頃に生まれた[[ロック (音楽)|ロック]]のスタイルの一つ。'''パンク'''と略称されることが多い。[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ニューヨーク]]の[[ボヘミアン]]的なロック・シーンに産声を上げ、1976年に[[イギリス]]の[[ロンドン]]で[[セックス・ピストルズ]]がデビュー。その後
日本のパンクバンドについては、[[日本のパンク・ロック]]の項を参照。
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== 経緯 ==
=== 時代背景 ===
=== 早すぎた終息 ===
1977年のロンドン・パンク・ムーブメントは短期間で終息し、入れ代わるように[[ポストパンク]]/[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]が台頭した。この中で、オリジナル・パンクの根底にあった、肉体性の否定、無機質でユニ・セックスな性格、前衛性・実験精神などは、[[スロッビング・グリッスル]]、[[ディス・ヒート]]、[[ワイヤー (バンド)|ワイヤー]]らが引き継いだ。一方、これらに反発するように台頭した[[エクスプロイテッド]]、[[GBH]]、[[ブリッツ]]、[[コックニー・リジェクツ]]といったネオ・パンク(oi!)やハードコア・パンク勢もアンダーグラウンド的に人気を集めた。[[モヒカン刈り]]や[[ジャンパー (衣服)|ジャンパー]]といった、
=== 後継者たち ===
== 音楽的特徴 ==
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=== ニューヨーク・パンクの誕生 ===
[[画像:Iggy pop davis b&w 1.jpg|thumb|right|130px|パンクのゴッドファーザー、[[イギー・ポップ]] ]]
[[ニューヨーク・パンク]]は、[[1960年代]]後半にアメリカでアンダーグラウンド的に人気を得ていた[[MC5]]、[[ヴェルヴェット・アンダーグラウンド]]、
=== ロンドン・パンク興隆 ===
このニューヨークでのアンダーグラウンドの動きに注目したのは、大西洋を隔てたイギリスである。ラモーンズのロンドン公演などを機に、ロンドンを中心にニューヨーク・パンクを模倣したバンドが多数結成されるようになった。ロンドン・パンクの特徴としては、初期の[[ロックンロール]]が持っていた攻撃性と反社会性、スリーコード中心の曲調が挙げられる。また、少し前に流行っていた[[パブロック]]といわれる音楽も、ロンドン・パンクに大きな影響を与えた。破れた細い[[ジーンズ]]や古Tシャツ、革ジャン、よれよれのジャケットなどの[[ファッション]]も若者の間で流行した。初期に人気があったのは[[ストラングラーズ]]とセックス・ピストルズであるが、アメリカ進出は成功
ストラングラーズは、[[1974年]]に[[ロンドン]]で結成された。当時の流行から外れた短い髪、細いズボン、短いギターソロ、攻撃的な歌詞と音楽。彼らのサウンドは、パンクもしくは[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]と呼ばれ、次第に人気が出てきた。ストラングラーズは、アイスクリーム販売用のバンでイギリス国内を移動してライヴを行った。やがて反体制的なパンクバンドとして右翼団体の標的となるなど問題も抱えつつ、各アルバムをイギリスのトップ5に送り込むようになる。1970年代後半には、イギリスにおいてセックス・ピストルズやクラッシュ、ダムドと並んで人気パンクバンドであった。
セックス・ピストルズは、ロンドンで「SEX」という名前の[[ブティック]]を経営していた[[マルコム・マクラレン]]<ref>共同経営者は、美術大学時代の同級生で当時私的なパートナーでもあった[[ヴィヴィアン・ウエストウッド]]。ニューヨーク・ドールズのライブ・ツアーで自ら売り込んでマネージャーを務めた経験がある。
1976年、[[ダムド]]がデビュー。ロンドン・パンクで最初にシングル及びアルバムをリリースした。ほかのパンク・バンドに比べて政治色が薄く、圧倒的な演奏のスピードが特徴で、アルバム『[[地獄に堕ちた野郎ども]]』が大ヒットした。
[[画像:Clash 21051980 12 800.jpg|thumb|200px|1980年の[[ザ・クラッシュ]]]]
ザ・クラッシュは[[1976年]]に[[ロンドン]]で結成され、翌[[1977年]]『[[白い暴動 (アルバム)|白い暴動]]』でデビュー。
他に、[[ザ・ジャム]]が[[ネオモッズ]]・ムーブメントを巻き起こし、UKチャートでNo.1ヒットを4曲も出すなど、1982年の絶頂期に解散するまで人気バンドとして君臨した。ベテランのミュージシャン達によって結成された[[ポリス (バンド)|ポリス]]でさえ、デビューアルバムはパンクであった。また、[[スペシャルズ]]や[[マッドネス]]などの[[2トーン]]系[[スカ]]バンドが人気を博した。
ブームの火付役であったセックス・ピストルズは、アメリカ・ツアーの途中で空中分解し、ジョニー・ロットンの脱退により、スタジオ
イギリスでは、失業者の増加と言う社会問題が下地となって、若者たちの不満、怒り、反抗、暴力性などを掬い上げたパンクが大きな社会現象となった。[[ジェネレーションX (バンド)|ジェネレーションX]]([[ビリー・アイドル]]が在籍)などのポップなバンドも次々に生まれ、盛り上がった。ファッション、芸術、文学にまでその波は広がり、セックス・ピストルズ以上に髪を逆立たせ、服を破いたスタイルのロンドン・[[パンク・ファッション]]は世界中で知られた。[[1980年代]]のロンドンでは観光客相手に、パンク・ファッションで街頭に立ち、お金をもらって写真を撮らせるビジネスもあった(ちなみに、日本で
=== 1980年代のパンク・ロック ===
[[1978年]]
また、ハードコアとは別に、イギリスではストリートとより密接に結びついたパンク・リヴァイヴァル/ネオ・パンクの動き、[[オイ!]]が勃興する。[[シャム69]]や[[コックニー・リジェクツ]]などを中心とするこのムーブメントは、音楽的にはロンドン・パンクのポップさ、キャッチーさを継承しつつも、オリジナル・パンクにあったユニ・セックス的な側面は影を潜め、男らしさを打ち出すバンドが多かった。これは、当時のポップミュージックの中心だった[[ニュー・ウェイヴ (音楽)|ニュー・ウェイヴ]]に反目する意味合いがあった。
アメリカにおいても、1970年代後半にニューヨーク・パンクやロンドン・パンクに影響を受けたバンドが次々と誕生、[[ブラック・フラッグ]]や[[バッド・ブレインズ]]といった有力バンドにより、各地でハードコア・シーンが生まれた。局地的・アンダーグラウンド・レベルな現象の全貌を明らかにするのは難しいが、西海岸のファンジンの中には長期にわたって情報センターの役割を果たしたものもある。1977年創刊の[[ロサンゼルス]]のフリップサイド誌は、ガレージやポスト・パンク等雑多だった時代からのファンジンである。[[バークリー]]のカレッジラジオ局のパンク番組「マキシマム・ロックンロール」が、ファンジンを創刊する1982年には全米的な規模でハードコアリポートが掲載されるようになった。「マクシマム・ロックンロール 2号」のニューヨーク発リポートでは、ハードコア・バンドだった[[ビースティー・ボーイズ]]の自主制作盤発売が伝えられている。とはいえ、同誌においても誌面はハードコア一本槍だっわけではなく、レビューの半数を占めていたのは、カレッジロックやガレージ的なバンドであった。一般的なイメージとは裏腹に、[[ハスカー・ドゥ]]やバッド・ブレインズのように大手レーベルと契約するバンドが増え、また[[SST]]や[[ディスコード・レコード]]のような個人レーベルがディストリビューションを拡大し、[[クロスオーヴァー]]やスピードコア、[[ユースクルー]]・ハードコアが台頭する80年代半ばから後半にかけてがハードコアの規模的なピークであった。
[[スラッシュメタル]]からのクロスオーバー、ハードコアバンドによるメタルという意味でのクロスオーバー(・スラッシュ)は、D.R.I.(Dirty Rotten Imbeciles)の同名アルバム(1987年)以降一般化したとみられる。東海岸では、[[アグノスティック・フロント]]や[[クロ・マグス]]らに代表されるハードコアのメタル化やクロスオーバー、それらに反発する[[ユース・オブ・トゥディ]]らストレート・エッジの復古的な盛り上がりが、ニューヨーク・ハードコアという新たなブランドを作り出した。
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=== グランジ・ブーム ===
アメリカにおけるハードコア・ムーブメントはアンダーグラウンドな動きに留まったが、その過程において各地のバンド、インディ・レーベルを結ぶネットワークが
しかしながら、[[1994年]]にニルヴァーナのリーダーであった[[カート・コバーン]]が自殺すると、グランジが[[オルタナティヴ・ロック]]に呑み込まれる形で、グランジ・ブームは急速に終息を迎える。
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[[1980年代]]後半に[[バッド・レリジョン]]が、ハードコア的なサウンドをよりメロディックにスピーディーにさせたスタイルを確立。[[NOFX]]や[[ペニーワイズ]]、イギリス郊外系パンク・ファッションを継いだ[[ランシド]]などがその音楽性を発展させ、そのサウンドは[[ポップ・パンク]]や[[メロディック・ハードコア]]と呼ばれるようになる。
そして[[1994年]]、[[グリーン・デイ]]のメジャー・デビュー、[[オフスプリング]]の3rdアルバム『スマッシュ』の大ヒットにより、ポップ・パンク、メロコアが爆発的なブームを巻き起こす。
=== ポスト・ハードコアの時代 ===
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