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[[山口県]][[大島郡 (山口県)|大島郡]][[大島町 (山口県)|大島町]]出身。旧制岩国中学(現[[山口県立岩国高等学校]])、[[松山高等学校 (旧制)|旧制松山高等学校]]を経て[[京都帝国大学]]文学部国史学科卒業。[[西田直二郎]]に師事。[[林屋辰三郎]]<ref>林屋との関係について、林屋が大柄で奈良本が小柄だったため、「大辰小辰」と併称されたという。</ref>たちと[[雑誌]]『日本史研究』を刊行した。京都イングリッシュセンター([[1969年]]-[[2000年]]、現在 京都国際外国語センター)の学院長を務めた。
 
[[日本]][[近世]][[思想史]]や[[明治維新]]史の研究を手がける。1960代に入ってからは一般向けの歴史読物の執筆が多くなり、それとともに[[左翼]]的主張が影をひそめていった<ref>[[文化厚生会館事件]]のゴタゴタが影響している。</ref>。
後年は[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の一般書を多く出版し、「日本歴史の旅」『日本歴史の旅 戦国コース』([[新人物往来社]])などは広く読まれ、戦国史を啓蒙した書籍である。