「グレゴリウス13世 (ローマ教皇)」の版間の差分

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天正遣欧少年使節の時期を追記
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ローマにおいては[[サン・ピエトロ大聖堂]]にグレゴリウス聖堂を建築し、[[1580年]]には現在でも首相公邸として用いられている[[クイリナーレ宮殿]]を造営させている。さらに[[ディオクレティアヌス浴場]]を穀倉に改造もしている。これらの資金は教皇領内の資産を没収するなどしておこなったため、貴族たちの反感を集め、統治に混乱をきたすことにもなった。また、愛人との間にもうけた庶子[[ジャコモ・ブオンコンパーニ|ジャコモ]]を引き立てて、[[サンタンジェロ城]]の城主、教皇領国務長官などに抜擢している。教皇の歓心を買おうとした[[ヴェネツィア共和国]]はこのジャコモを貴族に加え、スペイン王[[フェリペ2世 (スペイン王)|フェリペ2世]]は将軍位を与えている。
 
ちなみに[[天正遣欧少年使節|天正遣欧使節]]の少年たちは、この教皇の治世最晩年にあたる[[1585年]][[3月]]教皇の謁見を受け、ローマ市内でも大歓迎を受けた。
 
なお、現存する最古の教皇冠はグレゴリウス13世時代のものである。