「ゴシック体」の版間の差分

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== 歴史 ==
タイポグラフィとしての和文ゴシック体は、欧文サンセリフ体の影響によって出現したものと言って良いが、その完全な模倣でありかといって[[漢字]]・[[仮名 (文字)|仮名]]の文化における背景の無いところから出現したとするのには無理がある。おそらくは、縦画と横画の均一なその形態は[[隷書体]]の流れを汲むものと考えられる。むろん隷書体は筆文字であるのでその起筆部・終筆部の形状は角が立ったものではなく、その変貌こそがサンセリフの設計概念を取り入れた和文ゴシック体の誕生と言えよう。
 
たいていの印刷物において、本文が[[明朝体]]で組まれ、その中で見出し部分や、強調したいところにゴシック体が使われた。それには、縦画と横画の差が大きく、欧文のローマン体にも擬せられる明朝活字が本文用書体として可読性にすぐれていた一方、[[インキ]]のつく面が広く視覚的訴求性の高いゴシック体の特性があった。
 
そもそも[[金属活字]]の時代には、日本語など[[漢字]]を使う言語においてはアルファベットとは比較にならないほど多数の活字をそろえねばならないため、欧文活版印刷のように多種の書体を混植することは難しく、よほど大きな[[印刷会社|印刷所]]以外では明朝とゴシックのみ、というところが多かった。このため「本文はミン(明朝)、強調はゴチ」という日本語組版の了解事項のようなものがあり(当時から「欧文のように多彩な書体を使いたい」という需要はあった)、時代が下って[[写真植字]]や[[DTP]]が興隆し多数の書体を自在に扱えるようになっても、このシンプルなルールは変わることなく続いている。
 
DTPの黎明期においても、扱える[[フォント]]は事実上[[モリサワ]]の[[リュウミン]]Lと[[中ゴシックBBB]]だけであり、[[デザイナー]]たちはその制約の中で意匠をこらした。だがそれは確かに写植の多彩な書体から見れば制約ではあったが、金属活字を削って工夫していた状態に比してべれば遙かに大きな利便性を得ていたとも言える。現在では扱えるフォントは選択に迷うほどに増加しているが、それでもやはり明朝とゴシックの組み合わせは王道とされる。
 
== 関連項目 ==