「ロシア四重奏曲」の版間の差分

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==作曲の背景==
ハイドンは、この曲を書くのに先立って[[1772年]]に、6曲からなる弦楽四重奏曲集「[[太陽四重奏曲]]」op.20を作曲しているが、その後、この「ロシア四重奏曲」を書くまで、10年近く弦楽四重奏曲を作曲していない。「太陽四重奏曲」は、[[対位法]]によって、強固に凝縮された構造を持ち、それまで[[ディヴェルティメント]]の一種でしかなかった弦楽四重奏に新たな芸術的価値を付与することを目指したものだったが、。しかし弦楽四重奏という新しい形式に、[[バロック]]時代の旧式な[[対位法]]形式を持ち込んで価値を高めるという手法を用いたことは、斬新なハイドンは不満が残るものだったからである。また、このような手法により「太陽四重奏曲」はあまりに肩肘の張りすぎたものになり、ハイドンは手詰まりの状態にあったといえる。
 
時の移るままに放置されていた弦楽四重奏という形式は、10年近い歳月を経て着手されたこの「ロシア四重奏曲」で、よりくつろいだものに洗練され完成されることになる。中には、[[弦楽四重奏曲第38番 (ハイドン)|第38番『冗談』]]のように独特なユーモアを持つものさえある。出版前にハイドンは書簡の中で「全く新しい特別な方法で作曲された」とアピールしており、確かにかつて以上に磨かれた形式美や端正さを持つこと、また全て従来の[[メヌエット]]楽章に代わり[[スケルツォ]]をおく手法など、新しい方向性が取り入れられている。