「ヴァシーリー・ゴロヴニーン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
3行目:
 
==人物・来歴==
1807年から1809年にかけ[[ディアナ号]]で世界一周航海に出て、[[クリル諸島]]の測量を行なう。1811年、軍により[[千島列島]]の測量を命じられ、自らが艦長を務めるディアナ号で[[択捉島]]・[[国後島]]を訪れる。しかし国後島にて[[江戸幕府|幕府]]役人に捕縛され、[[函館市|箱館]]で幽閉される。ゴローニンは幽閉中に間宮林蔵に会見し、村上貞助や上原熊次郎にロシア語を教えたりもした。
 
1813年、ディアナ号副艦長{{仮リンク|ピョートル・リコルド|ru|Рикорд, Пётр Иванович}}の尽力により、ロシア側が捕らえた[[高田屋嘉兵衛]]らの日本人を解放するのと引き換えにゴローニンは解放された([[ゴローニン事件]])。帰国後の1816年に日本での幽閉生活を『[[日本幽囚記]]』という本にまとめた、この本は欧州広範囲で読まれた。1825年には日本でもオランダ本から訳された「遭厄日本紀」が出版された。同書は、[[ニコライ・カサートキン]]が日本への[[正教]][[伝道]]を決意するきっかけとなったことが知られる。1817年から1819年にかけてカムチャツカ号で再度世界一周航海に出た。