「レオポルト5世 (オーストリア公)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
墓追加。赤lkはそのうち作成。
1行目:
{{出典の明記|date=2014年2月}}
[[ファイル:LeopoldV.jpg|thumb|有徳公レオポルト5世]]
'''レオポルト5世'''('''Leopold V''', ? - [[1194年]])は、[[バーベンベルク家]]の第2代[[オーストリア公]](在位:[[1177年]] - 1194年)。'''有徳公'''(der Tugendhafte)と呼ばれた。[[ハインリヒ2世 (オーストリア公)|ハインリヒ2世]]と妃[[テオドラ・コムネナ (オーストリア公妃)|テオドラ・コムネナ]]の子。
9 ⟶ 10行目:
 
しかし[[サラーフッディーン]](サラディン)と並び「獅子心王」とまで称される英雄リチャード1世を逮捕したことは、[[教皇|ローマ教皇]][[ケレスティヌス3世 (ローマ教皇)|ケレスティヌス3世]]の怒りを買うことになり、レオポルト5世は[[破門]]されてしまった。そして1194年、落馬事故が原因であっけなく死去した。
 
遺体は[[ハイリゲンクロイツ修道院]]の集会室に埋葬されている<ref>{{cite web |url=http://www.stift-heiligenkreuz.org/japanisch/ |title=ハイリゲンクロイツ修道院はウィーンの森の神秘なる中心 |publisher=ハイリゲンクロイツ修道院 |accessdate=2014-01-07}}</ref>。1188年に彼がこの修道院にもたらした[[聖十字架]]は現存しており、1982年に専用のチャペルに安置されて以来一般にも公開されている<ref>{{cite web |url=http://www.stift-heiligenkreuz.org/english/ |title=What is the Cistercian Abbey Stift Heiligenkreuz? |publisher=ハイリゲンクロイツ修道院 |accessdate=2014-02-01}}</ref>。
 
== 子女 ==
15 ⟶ 18行目:
*[[レオポルト6世 (オーストリア公)|レオポルト6世]](1176年 - 1230年)
*アグネス
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
{{先代次代|[[オーストリア君主一覧|オーストリア公]]|[[1177年]] - [[1194年]]|[[ハインリヒ2世 (オーストリア公)|ハインリヒ2世]]|[[フリードリヒ1世 (オーストリア公)|フリードリヒ1世]]}}