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徳仁親王は、幼稚園から大学まで[[学習院]]で学んだ。[[学習院高等科]]時代は、正規の授業のほか、御所におけるご進講の形で「歴代天皇の[[御事跡]]」や[[古事記]]、[[日本書紀]]、[[万葉集]]、[[平家物語]]から[[比較神話学]]、[[文化史]]、[[文化人類学]]、[[時事問題]]などを幅広く学んだ。“[[帝王学]]”の一環と考えられる<ref>「美智子妃」 河原敏明著 講談社文庫 P.160</ref>。[[学習院大学]]では音楽部に所属しヴィオラを担当した。在学中の[[1980年]](昭和55年)2月23日、満20歳で成年式を執り行った。
[[1982年]](昭和57年)3月に学習院大学[[文学部]][[史学科]]を[[卒業]]した([[学士|文学士]])。その後、同大学[[大学院]]人文科学研究科博士前期課程に進学。それまでの皇族が、[[生物学]]を中心とした[[自然科学]]を専攻したのに対して、徳仁親王は[[史学]]、[[中世]]の交通史・流通史という[[人文科学]]・[[社会科学]]に近い分野を専攻した。
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