「木村庄之助 (29代)」の版間の差分

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幼少期、岸本の[[漁師]]、梯長太郎の養子となる。[[香南市立岸本小学校]]4年生の時に、隣人で[[園芸]]を営む[[好角家|相撲愛好家]]の[[河村重寅]]氏に「どうか、[[東京]]に行ってみないか」と言われ、故郷を離れ、二所ノ関部屋に入門。<ref>中村豊(1995) 「第一項 桜井 春芳」 『宇多の松原 岸本小学校創立百二十周年記念誌』 pp.181-184. 香我美町立岸本小学校</ref>
[[1945年]]11月に木村春芳の名で初土俵。後に師匠の元[[三役]]格行司・9代[[三太夫 (行司)|式守与太夫]] (7代[[三太夫 (行司)|式守錦太夫]]) の[[養子]]となり[[房錦勝比古|房錦]]は義理の兄になった。その後式守春芳、木村壽男、木村春義、木村真之助、式守真之助に改名し、[[1963年]]1月に[[十両]]格に昇格、養父の前名である2代[[式守慎之助]]襲名。[[1980年]]に1月に[[幕内]]格に昇格。[[1985年]]1月に養父の跡を継ぎ9代[[三太夫 (行司)|9代式守錦太夫]]襲名。[[1992年]][[1月]]に[[三役]]格に昇格。
 
[[1993年]]7月に[[式守伊之助 (27代)|27代伊之助]]、同年11月には[[木村庄之助 (28代)|28代庄之助]]と[[立行司]]が相次いで[[定年|停年]]退職した。通常[[三役]]格行司から立行司に昇格させるが、3人ともまだ三役格に昇格して年数が経っていないため立行司昇格は見送られ、[[1994年]]1月場所と[[1994年]]3月場所の2場所の間は史上初の立行司不在とし、同じ三役格の[[式守伊之助_(29代)|3代木村善之輔]]、[[式守伊之助_(30代)|8代式守勘太夫]]とともに[[立行司]]昇格を争った。これを勝ち抜き[[1994年]]5月に立行司に昇格し28代伊之助を襲名。その4場所後の[[1995年]]1月に29代庄之助を襲名。以後6年間にわたって行司の最高位を務めた。庄之助の在位期間38場所は行司停年制実施以降では[[木村庄之助 (27代)|27代庄之助]]に次いで2位である。また庄之助として<!--、[[木村庄之助 (23代)|23代庄之助]]([[若乃花幹士 (初代)|初代若乃花]]、[[朝潮太郎 (3代)|3代朝潮]]、[[柏戸剛|柏戸]]、[[大鵬幸喜|大鵬]])以来の-->現時点最後の4[[横綱]]([[曙太郎|曙]]、[[貴乃花光司|貴乃花]]、[[花田虎上|3代若乃花]]、[[武蔵丸光洋|武蔵丸]])時代を裁いた。最後の一番は、平成13年3月場所[[千秋楽]]の横綱貴乃花 - 同武蔵丸(現[[武蔵川]])である。
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庄之助昇進以後、一度も[[物言い|差し違え]]がなく、28代庄之助同様「[[平成]]の名行司」と評する声は多い。
 
 
== その他 ==