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[[1894年]]以来2社8線9駅の鉄道が市内に通じ、古道以来の交通の要衝であったところに近代には周辺村からの人の流れと物資の集積地としての機能が発生し、鉄道開通による宅地化が進むなかで、現在の栄町一帯は西武新宿線開通後、東京都内の沿線では田無に次ぐ商業地域となっていく。
 
[[1942年]]4月1日に'''東村山町'''(ひがしむらやままち)となった。この段階では、東京内の隣接自治体で最も早い町制であった。
 
[[1964年]]4月1日に'''東村山市'''となった。市制と同時に現在の各町が設置され、前後して富士見町に私立中学高校が複数開校し、[[1967年]]には[[新青梅街道]]、[[1973年]]には[[武蔵野線]]が開通し、ベッドタウンとして開発が進められ、都営住宅や団地、官公庁住宅の整備が行われ、現在の市の姿となる。