「フィアット・ウーノ」の版間の差分
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'''ウーノ'''(''Uno'' )は[[イタリア]]
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最初のウーノは[[フィアット・127]]の後継機種として開発され、3ドアと5ドアハッチバックの2種類が販売された。ベースグレードは45で、999cc 45PSエンジン。60Sはボアφ80×ストローク55.5mmで1,116cc、圧縮比9.2で58PS/5,700rpm、8.9kgm/3,000rpmエンジンを積み車重770kg。70SLはボアφ86.4×ストローク55.5mmで1,304cc、圧縮比9.5で65PS/5,600rpm、10.2kgm/3,000rpmエンジンを積み車重780kg。燃料供給はいずれも[[ウェーバー (企業)|ウェーバー]]製ダウンドラフトキャブレターによる。[[ジョルジェット・ジウジアーロ]]によってデザインされた車体は四角く背が高く、車内のスペースが大きく感じられた。また[[燃費]]の良さも人気の一因であった。ちなみにこのウーノはジウジアーロが1978年にデザインした[[ランチア・メガガンマ]]を改良し、小型化した物であると言われている。1984年には[[カー・オブ・ザ・イヤー]]賞を受賞。▼
=== マーク1(1983年-1989年) ===
1985年にスポーティー版であるターボieが追加された。ブースト圧0.6バールの石川島播磨重工業(現[[IHI]])製VL-2型ターボチャージャーと[[ロバート・ボッシュ (企業)|ボッシュ]]製LE2ジェトロニックを装備したボアφ80.5×ストローク63.9mmの1,301cc、圧縮比8.0で最高出力105ps/5,750rpm、最大トルク15.0kgm/3,200rpmのエンジンを搭載(『80年代輸入車のすべて』三栄書房、頁参照)。車重は845kg。最高速は200km/h、0-100km/h8.3秒<ref>『外国車ガイドブック1987』p.152。</ref>。▼
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▲1985年に
== ウーノ・マーク2(1989年–1995年) ==▼
1989年9月に登場したウーノ・マーク2は車体前方と後方のデザインが変更され、より低い[[空気抵抗]]を実現した。車内デザインも変更され、マーク1の欠点であったダッシュボードが震える現象が改善された。▼
▲1989年9月に登場した
イタリア国内での生産は西ヨーロッパ一帯での売上数が減少するとともに1995年に終了した。後継機は[[フィアット・プント]]である。
=== ラリー競技 ===
メインストリームである[[グループB]]をフィアット・グループであるランチアチームに重点を置いていた1985年。[[グループA]]エントリーをグループ2時代より131アバルトのサポートカーとして参戦させてきていた[[フィアット・リトモ]]をリトモ・アバルト130TCにまでスープアップしてきており成績的にも限界が来ていた。
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そこでアバルトと共同で1986年、ウーノターボ・アバルトをプロトタイプとしてコルシカ島でのテストを行った結果、フィアットからは同じ市販車ベースでのツインキャブレターを装備した100馬力の70SXグループA仕様をA112アバルトの後継モデルとしつつも採用はされず、メインストリームをグループAとした1987年。ポルトガルでジョリークラブのターボが総合10位と初のクリーンコンディションでのポイントをゲットする<ref>[http://www.rallybase.nl/index.php?type=result&rallyid=204 21º Rallye de Portugal Vinho do Porto]]-rallybase.nl 2013年4月22日参照。</ref>も、1987年後半よりウーノでのグループA参戦を、中型車であるレガータへ徐々にバトンタッチしていく<ref>[http://www.rallybase.nl/index.php?type=result&rallyid=197 8º Marlboro Rally Argentina]-rallybase.nl 2013年4月22日参照。</ref>。
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西ヨーロッパでの製造・販売は終了したものの、初代ウーノは
▲南アフリカ共和国においてはウーノは[[日産自動車]]のライセンス下で2006年まで「ニッサン・ウーノ」及び「ミッレ」として製造されていた。
[[ブラジル]]:1988年4月に生産開始。<br/>
現地では比較的安価なエントリーモデルとして知られ、2005年以降はエタノール対応となりその後約200万台を突破する。<br/>
▲[[ポーランド]]国内でのフィアット製造工場による生産は1995年6月から2002年10月まで続けられた。
2010年に南米向け新型ウーノが投入されて以降も1.0L車のみへラインナップを縮小し、「ミッレ」として販売を継続していたが南米におけるABSおよび両席エアバッグの義務化に対応できなくなることから2014年初頭で生産終了となる。
[[アルゼンチン]]:イタリア系移民の子孫が多い
他に派生車である4ドアセダンの「ドゥーナ」およびステーションワゴンである「エルバ」が1988年から2000年まで製造されイタリア本国へも輸出していた。
[[パキスタン]]
▲イタリア系移民の子孫が多い[[アルゼンチン]]では1989年から2000年まで約18万台のウーノが生産された他、4ドアサルーン型の「ウーノ・デュナ」「ウーノ・エルバ」が1988年から2000年まで製造された。
▲[[パキスタン]]ではラジャ自動車が[[ノックダウン方式]]により生産を継続している。2006年モデルはブラジル製の右ハンドル版で、完成品は南アフリカ共和国に輸出されている。
[[フィリピン]]:地元メーカーのフランシスコ・モーターズ社との合併会社であるイタルカー・ピリピナスにより1992年から2000年まで現地生産。
▲[[モロッコ]]での生産は2004年まで続き、現在でも小型タクシー用の車両として人気が高い。
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[[ダイアナ (プリンセス・オブ・ウェールズ)|ダイアナ]]が事故死した際、追走していた[[パパラッチ]]は白いフィアット・ウーノに乗っていたという証言がある。しかしながら確証は取れていない。
1990年代初頭にイタリアで悪名を馳せた犯罪グループ「ウーノ・ビアンカ」(イタリア語で白いウーノの意)の名は彼らが好んで盗んだフィアット・ウーノに由来するが、これは当時のウーノに[[イモビライザー]]が搭載されていなかったことに起因する。
== 2代目(2010年-) ==
初代に比べて丸みが多くなり、スタイルが劇的に変化した。<br/>
ブラジルフィアット及びトリノのフィアットセントロスティーレ社と共同設計され、ブラジル及び他の南米諸国で販売されるが欧州には投入されない。<br/>
プラットフォームは[[フィアット・パンダ|ニューパンダ]]や[[フィアット・500|500]]などと共用している。<br/>
エンジンはフレックス燃料タイプの1.0Lと1.4Lの二機種で、どちらも5速マニュアルのみと組み合わせられる。
== 脚注 ==
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