「DDIセルラーグループ」の版間の差分
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[[1985年]]の通信事業の自由化により、当時NTTが独占していた[[自動車電話]]事業への、初めての新規参入グループが募集される。調整の結果、最終的にトヨタ自動車グループ([[日本移動通信]])が関東・中部(北陸4県を除く)地区を、それ以外の地区を京セラグループが参入することに決定。
京セラグループでは、1988年頃から地区別に、後述のような企業「○○セルラー電話」が設立され、[[1989年]]7月の関西を皮切りに、[[モトローラ]]開発の[[アナログ]]式自動車電話[[TACS]]方式を基に、日本国内向けに改良した[[JTACS]]方式によるサービス事業を開始した。
=== 事業開始時期 ===
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一方、トヨタグループは、1987年に「[[日本移動通信]]」(IDO)を設立。京セラグループとは異なる、[[NTT大容量方式]](ハイキャップ)によるアナログ自動車電話サービス事業を[[1988年]]12月に開始。
この結果、IDOとDDIセルラーのシステムの互換性がないため、DDIセルラーと相互利用ができず、IDOの事業地域である関東・東海・甲信地区以外はライバル企業の[[NTTドコモ|NTT]]に[[ローミング]]せざるを得なくなった。この状態は、
このアメリカの政治的圧力に押される形で、[[1991年]]10月に、IDOも東京23区から
その後、IDOとともに、[[PDC]]方式を導入したが、アンテナ配置の関係で[[NTTドコモ]]の方が受信しやすいとのユーザーからの要望に応えてNTTとのローミングを残存させ、ショートメールサービスはIDOとDDIセルラーは異なる方式となった。その後、[[CDMA]]方式のデジタル通話([[CdmaOne]])を導入し、ショートメールなどを含め料金体系を除き全国統一サービスとなった。それをきっかけに、DDIとIDOは提携関係から、「au」ブランドへの統一、会社合併へと進んでいくこととなった。ブランド統一から現在への移り変わりについては、[[Au (携帯電話)|au]]の項で詳述する。なお、TACS方式は1999年8月に相次いで新規受付を終了し、現在のKDDIが発足する前日の[[2000年]][[9月30日]]に全社とも停波し、11年の歴史に幕を下ろした。
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