「馬場元子」の版間の差分

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→‎来歴: とりあえず追記
→‎来歴: 取締役就任の今もハワイ在住? あと存命中の人物の誹謗はwikiではしないそうです。とりあえず消しとく。
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[[2000年]]、三沢以下社員40名以上が全日本を退社、[[プロレスリング・ノア]]を立ち上げ、元子は全日本プロレス代表取締役社長に就任する。この時全日本に残った選手は、[[川田利明]]・[[渕正信]]の日本人二人のほかはみな外国人選手で、[[天龍源一郎]]を復帰させるなど苦しいやりくりを強いられた。[[新日本プロレス]]との対抗戦を経て[[武藤敬司]]が全日本に移籍、社長となったが、株式を元子が握っている状況は変わらなかった。
 
団体そのものの存続に危機感を抱いた[[和田京平]]らは、[[川田利明]]・和田京平・[[渕正信]]のプロパー3人の連名で「武藤社長への株式譲渡を求める。拒否された場合は全選手・社員で全日本プロレスを離脱する」という主旨の文書を元子に提出。その結果、全日本プロレスの85%株式を武藤に無償譲渡し、オーナーを退いた。現在は[[ハワイ州|ハワイ]]に在住
 
しかし、馬場家経営時代の全日本プロレスの実態・真相が白日の下に晒される度に、元子に対する批判は増える一方である。実質的には、三沢を精神的・肉体的に追い詰めて独立に至らせた中心人物である。かつては[[ジャンボ鶴田]]夫人である[[鶴田保子]]と仲がよく、鶴田保子も三沢らの大量離脱の際に「三沢くんに全日本を潰す権利は無い」と語ったものの、事の真相が明らかになった後には、自身のホームページで「三沢くんの気持ちがやっと分かった」「元子さんは許せない」と語っている。
 
馬場の死去後、馬場との思い出をつづった著書『ネェネェ馬場さん』([[講談社]])を上梓している。