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特に自らが経営するジャイアント・サービスを通じてグッズ販売を独占し、全日本プロレスとは別会計で自分の懐に入るようにしていたばかりか、選手にはロイヤリティすら入らなかった。ちなみにグッズ年間収入は推定約一億円。
 
なお[[スタン・ハンセン]]は元子を支持していたと言われる。これについては、全日本プロレスに参戦した外国人選手が待遇面での良い思い出として、馬場とともに元子の名前を必ず挙げていたことからも窺い知ることができ、ハンセンの元子支持は、日本人選手より外国人選手を厚遇していたことを皮肉にも証明するものとなった。
 
[[1999年]]、ジャイアント馬場が逝去。[[三沢光晴]]社長下となった新役員体制で全日本プロレス取締役となる。しかし、株式は元子が握っていたため、三沢は思ったように舵が取れず、改革を訴える三沢に対し、度々反発していたという(もっとも、三沢死後の[[プロレスリング・ノア]]でも三沢保有の株式は三沢夫人が継承している)。