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東京女子大学卒業後に[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[カリフォルニア大学]]に留学する。1937年(昭和12年)9月に[[ロンドン]]の救世軍士官学校に入学する。1938年(昭和13年)に万国士官学校、万国本営編集部に勤める。1939年(昭和14年)に帰国する。
 
救世軍士官学校や救世軍社会部、士官雑誌係などをへて、1954年(昭和29年)2月に『[[ときのこえ]]』の編集者になる。1946年には、[[宮本百合子]]、[[佐多稲子]]、[[山室善子]](民子の姉妹)らと共に[[婦人民主クラブ]]を結成している。
 
1959年(昭和34年)に大佐補に昇進し、書記長官に任じられる。文部省初の女性視学官になる。また、[[国際基督教大学]]評議員、東京女子大学[[理事]]も務める。1962年(昭和37年)の引退後も引き続き本部付になる。