「国鉄ED45形電気機関車」の版間の差分

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** 交流電動機は[[周波数]]が高いと[[変圧器]]起電力(回転子と固定子の間での誘導による起電力)で整流が悪くなり最終的には制御不能に陥る。当時の日本には商用周波数である50[[ヘルツ|Hz]]という高周波数の交流電動機の製造経験がなく、14 - 16極と直流機の4倍の[[磁石|磁極]]を入れることで[[端子]]電圧を下げている。
** [[主電動機]]は日立製作所のほかに[[東洋電機製造]]・[[富士電機ホールディングス|富士電機]]でもそれぞれ2基ずつ製造し、各メーカーのものを乗せ換えながらテストを行った。
* [[鉄道車両の台車|台車]]は後年の交流機でも問題となる[[活荷重#列車荷重(鉄道)|軸重]]移動の問題が当初より考えられたことから、車体から伸ばした脚に[[リーフ式サスペンション|板バネ]]で台車[[枕バネ]]と接続し、[[軌条|レール]]面に近い位置で引張力を伝えることで台車の[[ピッチング]]を抑えて解決を図ったDT108形を採用した。
 
; 車体
* [[秩父鉄道デキ100形電気機関車|秩父鉄道デキ101 - 103]]や[[大井川鉄道E10形電気機関車|大井川鉄道E103]]と同系統の車体を採用した。
** 当初デッキの手摺をほとんど持たず、転落事故などが懸念されたことから、暫くして増設工事がされた。
** 側面の通風フィルターは製造当初縦型のものだったが、デッキ手摺増設に前後して十字型の枠を持った形状に変更された<ref>『とれいん』1986年12月号 p40</ref>。
* 製造当初は[[アルファベット]]表記の凝ったデザインの製造[[銘板]]を装着していたが、国鉄側がこれを問題視したため取付規程を制定する遠因となったり、本機も後日漢字表記の銘板に交換されている
 
==== ED45 1 ====
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** 整流器式は車上に変電所を持つようなものであり、当初の[[見積]]では自重が100[[トン|t]]超となったことから、[[電気]]・[[機器]]部分にこれまでの常識を覆すほどの軽量化が行われた。
; 車体
* 三菱製の私鉄向電気機関車の[[設計]]を応用しており、[[小田急電鉄の電気機関車#デキ1040形|小田急電鉄デキ1041]]や[[大井川鉄道E10形電気機関車|大井川鉄道E101・102]]と類似する。また、正面[[尾灯]]から側面にかけて[[ステンレス鋼|ステンレス]]製の飾り帯を持つ。
; 改造
* イグナイトロン整流器は以下の欠点があった。
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* 東芝技術陣は水銀整流器の電流阻止作用に着目。これを利用して低圧無電弧タップを切る方式を開発した。
* 補機用の低圧電源供給には従来の[[電動発電機]]をやめ相数変換機による交流化が図られた。
* 内部機器の火災・爆発事故対策を強化したほか、[[交直流電車|交直流車両]]開発のため直流機器が一部搭載された<ref>『鉄道ピクトリアル』1969年4月号 p19-20</ref>。
* 台車・主電動機は保守的な設計で[[国鉄EH10形電気機関車|EH10 15]]を基礎とする釣掛式を採用した
; 車体
* [[東武ED5000形電気機関車|東武鉄道ED5000形]]の設計を応用した角ばったスタイルである。
** 側面の通風フィルターは公式側に2個、非公式側に3個設けられた<ref>『とれいん』1986年12月号 p44-45</ref>。
 
==== ED45 21 ====
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==== 2次試験の結果 ====
ED45 11は試運転での成績不良によりメーカーでイグナイトロンを交換、ED45 21も同じ理由から機器配置の変更を実施したが<ref>鉄道ピクトリアル1969年4月号 p20</ref>、その後はいずれの車両も好成績を残した。さらにこれらの車両をベースに以下の形式が開発された。
*ED45 1→[[国鉄ED70形電気機関車|ED70形]]
*ED45 11→[[国鉄ED71形電気機関車|ED71 2]][[国鉄ED72形電気機関車|ED72形]]・[[国鉄ED73形電気機関車|ED73形]]<ref>ただし、タップ制御は高圧方式に変更された。</ref>
*ED45 21→[[国鉄21→ED71 1およびED71 4以降のED71形電気量産関車|ED71形]]
 
=== 改番 ===
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しかし、直接式のED44形は保守・整備の手間に難があることから、1961年以降は休車状態となり[[1966年]]に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となった。
 
一方、整流器式のED45形は3両とも[[1968年]]の仙山線全線交流電化<ref>作並 - [[山形駅|山形]]間の電化方式を直流から交流に切換。</ref>後も[[仙台総合鉄道部|長町機関区]]に転属して運用され続けていたが、以下の問題が発生していた。
*製造後10年以上が経過し一部機器の老朽化が始まっていた。
*保守部品も試作車という特殊性から確保に難があった。
*[[重連運転|重連]][[総括制御]]ができず、総括制御可能な[[国鉄ED78形電気機関車|ED78形]]の運用が始まるとED45形は単機で牽引可能な編成重量の軽い[[旅客列車]]中心とした運用に限定された。
*冬期[[旅客列車]]を牽引の際に必要な[[電気暖房 (鉄道)|電気暖房装置]](EG)ならびに[[蒸気暖房 (鉄道)|蒸気暖房]]用[[蒸気発生装置]](SG)が未搭載のため[[暖房車]]が必要だった。
 
また、福島機関区(現・[[福島総合運輸区]])所属の[[国鉄ED78形電気機関車|ED78形]]による[[奥羽本線]]との共通運用による各種コスト削減の効果も大きいことから、[[1970年]]に仙山線用試作交流機関車の取替名目でED78 10・11が製造され置き換えられたために全車廃車となった。
 
== 保存車 ==
2両が[[静態保存]]されている。
*ED91 11 - [[宮城県]][[宮城郡]][[利府町]]森郷児童公園
*ED91 21 - [[新幹線総合車両センター]]<ref>国鉄末期までは長町機関区構内で保管されていたが、JR化後利府駅構内での留置を経て2002年に再移設された。</ref>
 
== 脚注 ==
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| ref = 久保田 (2005)
}}
* [[電気車研究会]]『[[鉄道ピクトリアル]]』 1969年4月号 No.222 特集:交流電気車
* [[プレス・アイゼンバーン]]『[[とれいん]]』 1986年12月号 No.144 特集:国鉄試作機関車達の軌跡
 
== 関連項目 ==