「フランスパン」の版間の差分

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→‎日本での発展: 辛子明太子の記事にも同様の記載がありましたが、製法および「よく売られている」について出典が必要。
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元々フランスパンは[[イースト菌]]のようなパン酵母を用いず、生地を一度に混ぜて直火焼きしたものであったため、焼き色は現在のような[[きつね色|キツネ色]]ではなくうす焦げたものであった。フランスパンが現在のような形になったのは19世紀頃で、酵母菌や製粉技術などの向上によりこの頃から今日見られる多彩なフランスパンが作られるようになった。
 
日本には、明治年間に製法が伝えられた。事の発端は、[[東京市]]小石川区の関口台町にあった[[聖母仏語学校]]([[カトリック関口教会]]の前身)に勤めていた[[カトリック教会]]の[[司祭]]、[[ジャン・ピエール・レイ]]が、教会経営の孤児院の子どもたちに授ける職業訓練を、文化的なものにしたいと願ったことである。彼は、フランスパンの製法を最適と考え、孤児の中から長尾鉀二を選び、[[仏領インドシナ]]に修行に出させた。この試みは実を結び、[[1888年]](明治21年)には聖母仏語学校製パン部が創業。日本で初めてフランスパンの製造・販売を開始した。後の関口フランスパン([[1914年]](大正3年)創業)である。さらに、京都からは[[進々堂]]の続木斉が日本人最初のパン留学生として訪欧。2年余パリでパンの理論・実技を学び、帰国後の[[1924年]](大正13年)日本初の本場パリ仕込みのフランスパンを製造・販売した。
 
日本では、[[1954年]](昭和29年)に日本で「パンの神様」と称される元フランス国立製粉学校教授のレイモン・カルヴェルによる実演が行われ、[[1965年]](昭和40年)にカルヴェルの弟子のパン職人[[フィリップ・ビゴ]]による作り方の実演が行われて以降、普及した。カルヴェルはビゴを日本でパンの普及に努めるようにと派遣して、現在の日本のパンの基礎をつくった。