「セロニアス・モンク」の版間の差分

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== 略歴 ==
モンクの人生の初期については、殆ど知られていない。[[ノースカロライナ州]][[ロッキーマウント (ノースカロライナ州)|ロッキーマウント]]に生まれ、その後間もなく、モンクの家族は[[ニューヨーク]]へ移り住んだ。6歳の時にピアノの演奏を始め、多少の正式なレッスンを受けてはいたが、本質的には独学と思われる。
 
10代の頃にはある[[福音派]]の伝道者とともにしばらく各地を回り、教会の[[オルガン]]を弾いていた。10代の末頃に、モンクはジャズ演奏の仕事が見付かり始めた。1941年頃の ジェリー・ニューマン(Jerry Newman) の録音に登場している。この録音は、ニューヨークのクラブ、「[[ミントンズ・プレイハウス|ミントンズ]]」(Minton's) で行われ、モンクは此処でこのクラブのバンドのピアニストとして雇われていた。
 
[[1940年代|40年代]]初頭より、ジャズ・ピアニストとしての活動を始める。モンクの演奏スタイルは、この頃は「ハード・スウィンギング」と呼ばれる類いのもので、 [[アート・テイタム]](Art Tatum) のスタイルに近かった。[[1944年]]にモンクは、自身の最初のスタジオ録音を [[コールマン・ホーキンス]]・カルテット(Coleman Hawkins Quartet) と共に行っている。[[1947年]]にネリー・スミス(Nellie Smith) と結婚し、同じ年にモンクのバンド・リーダーとしての初めての録音がなされた。[[1950年代]]と[[1960年代]]を通して、モンクは巡業と録音とをこなした。[[1970年代]]の始めからは、舞台から姿を消した。[[1971年]]11月にモンクの最後の録音が行われ、モンクの生涯の最後の10年間はごく数回の演奏が行われたのみである。幾つかの情報源によれば、モンクは[[双極性障害]](躁鬱病)に苦しんでいたという。
 
[[1982年]]に[[脳梗塞]]で亡くなり、[[ニューヨーク州]] ハーツデイル(Hartsdale) にある、ファーンクリフ墓地(Ferncliff Cemetery)に埋葬された。
 
== 評価 ==
モンクの死後、の音楽は幅広い聴衆によって再発見され、モンクは今日では、[[マイルス・デイヴィス]]や[[ジョン・コルトレーン]]などと並び、ジャズの歴史に於ける偉大な人物の一人に数えられている。[[1989年]]、[[クリント・イーストウッド]]は、モンクの生涯と音楽についてのドキュメンタリー、 『ストレート・ノー・チェイサー』(''Straight, No Chaser'' ) を制作している。
 
== その他 ==