「怡土城」の版間の差分

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当時唐では、[[玄宗 (唐)|玄宗]]皇帝に対する「[[安史の乱|安禄山の乱]]」が勃発し、朝鮮半島では[[新羅]]が日本の国使との会見を拒否するなど、対外的な緊張が高まり九州の防備が急務となっていた。
 
[[File:Itojyo 01.jpg|300px|right|thumb|怡土城の関門跡]]
== 構造 ==
城の特徴は中国式山城の築城法でもってたすき状に築かれ、山の尾根づたいに望楼(物見やぐら)を配し、西麓の平地に面して高さ10メートル南北2キロメートルにわたる土塁・石塁をもって固め、その間に城門や水門等を造り、敵襲に備えたとみられる。土塁の外側には幅15メートルの濠も確認されている。