「板蓋宮」の版間の差分
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== 経緯 ==
[[642年]]
板蓋宮は、[[645年]][[7月10日]](皇極天皇4年[[6月12日 (旧暦)|6月12日]])に発生した[[クーデター]]([[乙巳の変]])の舞台となった。この日、皇極天皇の眼前で大臣の次期後継者である[[蘇我入鹿]]が刺殺されるという凶行がなされ、これにより皇極天皇は[[7月12日|同月12日]]([[6月14日 (旧暦)|14日]])に退位し、事件の真の首謀者と目される軽皇子が即位することとなった([[孝徳天皇]])。孝徳天皇は、難波長柄豊碕(なにわのながらのとよさき)に宮を置いた。
[[654年]]([[白雉
== 名称 ==
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*[[飛鳥光の回廊]]
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[[Category:飛鳥時代|いたふきのみや]]
[[Category:奈良県の歴史|いたふきのみや]]
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