「明日の神話」の版間の差分

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== 概要 ==
岡本の絵画では最も大きな作品とされる。岡本は、[[メキシコシティオリンピック|メキシコオリンピック]]のために[[メキシコ]]中心部に建築中だった、当時中南米一の規模の44階建てホテルのために製作<ref name="chugoku19670908">『岡本太郎氏が大壁画 メキシコの新築ホテルに』 - 中国新聞 1967年9月8日 4ページ</ref>。[[ルフィーノ・タマヨ]]との競作でも話題になっていた<ref name="chugoku19670908"/>。
岡本は作品の意図について、『中国新聞』1968年1月27日付朝刊のインタビューにおいて、「原爆が爆発し、世界は混乱するが、人間はその災い、運命を乗り越え未来を切り開いて行く―といった気持ちを表現した」と応えている。この思想的背景となったものとして、1950年代頃から岡本が愛読した世界的宗教学者であるミルチャ・エリアーデが著書『永遠回帰の神話』(1949)において展開した思想と通底していることが指摘されている。
 
しかし、依頼主の経済的事情で作品の所在は不明となっていた。[[2003年]]9月、メキシコ国内の倉庫で発見、岡本のパートナーである[[岡本敏子]]が確認作業を行った。[[2004年]]10月、岡本太郎記念現代芸術振興財団などが、再生プロジェクトを立ち上げた<ref>[http://www.1101.com/asunoshinwa/asunoshinwa.html 『明日の神話』とは](岡本太郎 - 明日の神話オフィシャルホームページ )</ref>。修復のため、100個以上に分かれた壁画の断片を日本に船で移送、[[2005年]]7月から[[愛媛県]][[東温市]]で絵画修復の専門家、[[吉村絵美留]]らが作業を行い、[[2006年]]6月に完了、報道陣に公開された。