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*野球留学と思われているが、全く勝手な憶測である。当時尼崎地区は学区制が敷かれており、その影響による本人の意思とはそぐわない学校間同士のいざこざに嫌気がさし、親類を頼っての移住であった。また、米子東高は県下有数の進学校で学力も伴わなければ進学できず、野球留学など受け入れていなかった。
*選抜のサヨナラ優勝本塁打は、すっぽ抜けのボールを打たれた。チームメイトの吹野勝主将は岡本監督の指示で後攻をとることが多かったため、打たれた宮本は、味方野手が肩を落として引き揚げてくるのを見て、「なんや、まだ裏があるやないか」と思ったという。それほど投球に集中していたのである。ちなみにこの決勝戦では、米子東は宮本のヒット1本のみに抑えられた。
*98年、[[広島県]][[三次市]]出身で[[近畿大学]]の大型遊撃手だった[[二岡智宏]]の獲得に奔走する。結果、二岡の入団は確実と見られていたが、近畿大学関係者から球団に入団断りの連絡が入ったが、宮本は「二岡本人から断りの言葉を聞かない限りは引き下がれません」と突っぱねた。しかし宮本へ二岡の言葉が伝わることは最後まで無かった。なお宮本によると両者は2013年1月の二岡の引退後間もなく初めて顔を合わせて食事をしたという
*奇しくも同年の11月27日、[[オリックス・バファローズ|オリックス]]スカウトの[[三輪田勝利]]が自殺する事件が起きており、ひどく憔悴しきった宮本の様子を見かねた妻は、しばらくの間、宮本がどこに行くにも付き添ってきたという<ref>『野球小僧』2011年6月号 89ページより。</ref>。