「雲見くじら館」の版間の差分

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Gamera1123 (会話 | 投稿記録)
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== 歴史 ==
1977年4月15日、伊豆半島の雲見海岸沖合に現れた2頭のクジラから1頭が雲見漁港内に迷い込んで砂浜へ乗り上げ、翌日に死亡した<ref name="ss19890702"/>。なお、ほとんどのメディアや情報ではこの個体は自ら港に迷入し衰弱死したとされているが、実際には前日[[千本浜|沼津市の海岸]]で目撃された可能性のある個体が15日当日に雲見海岸付近を遊泳していたところを発見され、雲見漁港に追い込まれ殺されたものである。<ref name=ShizuokaDB>{{cite web|publisher=下関海洋科学アカデミー鯨類研究室|title=ストランディング・データベース 1901-2012(静岡県)|url=http://whalelab.org/ShizuokaPRF.htm|accessdate=2015年01月09日}}</ref> なお、セミクジラは1930年代には全世界で保護対象となっていたが、日本では19701990年代まで商業・調査捕鯨を含む形で相当数が保護規制後も捕獲され続け<ref name=Brownelletal2001>{{cite journal|author=Brownell RL Jr., Clapham PJ, Miyashita T, [[粕谷俊雄]]|year=2001|title=Conservation status of North Pacific right whales|journal=J. Cetacean Res. Manage.|issue=special issue 2|pages=269–286|accessdate=2015年01月09日}}</ref>、さらには[[ソビエト連邦]]と日本の相互補助的な大量違法捕鯨により壊滅的な生息状況に追い込まれ、今日では全大型鯨類でも最も絶滅が危惧される種類の一つになった<ref>{{cite journal|author=Berzin A.,Ivashchenko V.Y., Clapham J.P.,Brownell L. R.Jr.|year=2008|title=The Truth About Soviet Whaling: A Memoir|url=http://digitalcommons.unl.edu/cgi/viewcontent.cgi?article=1014&context=usdeptcommercepub|format=PDF|work=DigitalCommons@University of Nebraska - Lincoln|accessdate=2015年01月15日}}</ref>。なお、松崎沖では1970年代の[[日本鯨類研究所]]の調査にて母子が一組発見されており(このとき、更に別の母子が[[遠州灘]]の[[弁天島]]沖で発見された)、1996年には10m程の個体がやはり松崎沖3.5kmの地点で確認されている。<ref name=ShizuokaDB></ref> 
 
死亡したクジラは体長が11.5メートル、体重は22トンの未成熟個体であり、世界的にも貴重なセミクジラだとわかったことから、骨格標本とすることになり、捕鯨発祥の地として有名な[[和歌山県]][[太地町]]町民の手により解体されて海岸に埋められ、4年後の1981年3月18日に発掘された<ref name="ss19890702"/>。その後、1983年7月5日に骨格標本を展示する雲見くじら館が開館した<ref name="matsuzakitown"/>。