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1870年より[[フンボルト大学ベルリン|ベルリン大学]]へ留学、1876年に帰国し、陸軍軍医監、三等侍医、東京医学校長を経て、翌年1877年には医学校と東京開成学校の統合により設立された[[東京帝国大学|東京大学]]の初代医学部綜理に就任( - [[1881年]]頃)した。1888年に日本では初となる医学博士号を受けた。1898年には[[男爵]]の爵位が授けられ[[華族]]に列し、1902年には宮中顧問官となる。[[戊辰戦争]]、[[西南戦争]]、[[日清戦争]]などでは従軍医として活躍した。1918年死去。
 
== 栄典 ==
* [[1915年]](大正4年)[[11月10日]] - [[記念章|大礼記念章]]<ref>『官報』第1310号・付録、「辞令」1916年12月13日。</ref>
 
== 脚注 ==
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