「チャイナロック」の版間の差分

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|種 = [[サラブレッド]]
|生 = [[1953年]]
|死 = [[1982年]][[12月28日]]<br />&nbsp;&nbsp;(29歳没・旧30歳)
|父 = [[ロックフェラ|Rockfella]]
|母 = メイウォンMay Wong
|産 =
|国 = {{GBR}}
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引退後1年間イギリスで種牡馬生活を送り、[[1960年]]末に日本へ輸入された後は[[タケシバオー]]、[[ハイセイコー]]の2頭の[[顕彰馬]]をはじめ[[アカネテンリュウ]]、メジロタイヨウを輩出し、[[1973年]]には[[中央競馬]]の[[リーディングサイアー]]となった。また、地方競馬でも[[ヤシマナシヨナル]]などの活躍馬を輩出した。
 
[[獣医学]]が現在ほど発達していなかった時代に抜群の受精能力を誇り、年間最大127頭、13年連続50頭以上、生涯通算13001334回<ref>サラブレッド101以上[[繁殖牝馬]]と交配死に方 p102より</ref>もの種付け回数行う誇るなど、当時としては比類なきタフさを発揮した。また、死亡した年も29歳と高齢であったにもかかわらず種付けを行った。
 
これらの記録はいずれも日本におけるサラブレッドの種牡馬に関する当時の最多記録であり、獣医学と種牡馬の体調管理術が進展した[[1990年代]]まで破られることはなかった。
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また、一般的な種牡馬の場合には、[[当て馬]]と呼ばれる別の牡馬が種付けの前に牝馬を発情させて種付け行為を可能な状態にするが、チャイナロックは当て馬には任せずに自らがこれも行い、さらにはこの牝馬を発情させることも極めて上手であった。実際、当時を知る競走馬の生産者からは、現在にいたるまでこの点でチャイナロックを超える種牡馬はいまだ出ていない、という声も多い。
 
この様なこともあり「'''性豪'''<ref>[http://jra.jp/topics/column/bstory/3_1.html 第1話 英雄色を好む]</ref>」の異名を没後久しい現在もなおほしいままにしている。もちろん、これらの異名は産駒の活躍あってのものでもある。
 
[[1982年]][[12月28日]]、本桐牧場で老衰のために永眠した。
本馬の種牡馬としての功績を讃える「チャイナロック号記念像」が[[新ひだか町]]の本桐牧場の敷地内にある。
 
本馬の種牡馬としての功績を讃える「チャイナロック号記念像」が1976年に建てられ、[[新ひだか町]]の本桐牧場の敷地内にある。
 
== 産駒の傾向 ==
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}}
*[[セントサイモン|St.Simon]]は父内にSt. Frusquin、[[チョーサー|Chaucer]]、母内にSt. Serf、Desmondと産駒がおりSt.Simon 6×5×6×6、[[シリーン|Cyllene]]は父内にMinoru、Lemberg、母内にCicero、Wood Daisyと産駒がおりCyllene 6×6×5×5とラインブリードが形成されている。
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 参考文献 ==
* サラブレッド101頭の死に方(アスペクト、[[1996年]] ISBN 4-89366-595-2)
* {{Cite book|和書
* 競馬種牡馬読本(宝島社〈別冊宝島〉、[[1995年]] ISBN 4-7966-9239-8)
|year = 1995
|title = 競馬種牡馬読本
|publisher = 宝島社
|series = 別冊宝島
|isbn = 4-7966-9239-8
|ref = 競馬種牡馬読本
}}
 
== 外部リンク ==