「酒匂 (軽巡洋艦)」の版間の差分

infobox変更、要目確認、追記
(infobox変更、要目確認、追記)
{{Infobox 艦艇
{| class="wikitable" style="clear:right; float:right; margin: 0em 0em 1em 1em; width: 300px; background:#ffffff"
|名称 = 酒匂
|colspan="2"|[[Image:Japanese cruiser Sakawa.jpg|300px|]]
|画像 = Japanese_cruiser_Sakawa.jpg
|-
|画像説明 = 佐世保軍港における「酒匂」(1944年11月24日)<ref>[[#日本海軍艦艇写真集巡洋艦]]p.180。</ref>
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
|運用者 = {{navy|Empire of Japan}}
|-
|建造所 = [[佐世保海軍工廠]]<ref name="昭和造船史1-p784">[[#昭和造船史第1巻]]784-785頁。</ref>
|発注||[[1939年]]([[マル4計画]])
|計画 = [[1939年]]([[マル4計画]])
|-
|発注 =
|起工||[[1942年]][[11月21日]] 佐世保工廠
|起工 = [[1942年]]11月21日<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|進水|| = [[1944年]][[4月9日]]<ref name="昭和造船史1-p784" />
|竣工 = 1944年11月30日<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|就役||1944年[[11月30日]] =
|退役 =
|-
|除籍 = [[1945年]]10月5日<ref name="写真日本の軍艦第9巻p105">[[#写真日本の軍艦第9巻]]p.105。</ref>
|その後||標的艦として[[クロスロード作戦]]に使用され[[1946年]][[7月2日]]沈没
|最後 =
|-
|その後 = 標的艦として[[クロスロード作戦]]に使用され[[1946年]]7月2日沈没<ref name="写真日本の軍艦第9巻p105" />
|除籍||[[1945年]][[10月5日]]
|現況 =
|-
|母港 = 横須賀
!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|性能諸元
|建造費 =
|-
|改名 =
| style="white-space:nowrap;" |[[排水量]]||基準:6,652[[トン数|トン]]<br />公試:7,710トン
|要目注記 =
|-
|種別 = 二等巡洋艦
|全長||174.50m
|クラス = 阿賀野型
|-
|排水量 =
|全幅||15.20m
|基準排水量 = 計画 6,651[[トン|英トン]]<ref name="Ippan-p2">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」2頁の計画値「註.上記ノモノハ昭和十四年十月十三日艦本機密決第五三八号ニ依ル基本計画当初ノモノヲ示ス」。</ref> または 6,652英トン<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|常備排水量 =
|吃水||5.63m
|公試排水量 = 計画 7,710トン<ref name="昭和造船史1-p784" /><br />実際 7,894.71トン<ref name="JapaneseCruisers-p565">[[#JapaneseCruisers]]p.565, TABLE 11.7.</ref>
|-
|満載排水量 = 計画 8,338.4トン<ref name="Ippan-p2" /><br />実際 8,533.52トン<ref name="JapaneseCruisers-p565" />
|主缶||艦本式ロ号缶6基
|水中排水量 = <!-- 潜水艦のみ -->
|-
|長さ =
|機関||艦本式タービン4基4軸 100,000hp
|全長 = 174.50[[メートル|m]]<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|水線長 = 172.00m<ref name="昭和造船史1-p784" />
|最大速力||35.0[[ノット]]
|垂線間長 = 162.00m<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|幅 = <!-- m -->
|巡航速度||18ノット
|全幅 = 15.20m<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|水線幅 =
|航続距離||6,000[[海里]]
|深さ = 10.17m<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|吃水 = 公試平均(計画) 5.63m<ref name="Ippan-p2" /><ref name="昭和造船史1-p784" /><br />公試平均(実際) 5.71m<ref>[[#JapaneseCruisers]]p.563.</ref>
|乗員||730名
|高さ =
|-
|飛行甲板 =
|兵装|||15.2cm連装砲3基6門<br>[[六〇口径九八式八糎高角砲|65口径7.6cm連装高角砲]]2基4門<br>61cm四連装[[魚雷発射管]]2基8門
|推進 = 4軸<ref name="昭和造船史1-p784" />
|-
|機関 =
|搭載機||2機(射出機1基)
|主機 = [[艦本式タービン|艦本式高中低圧タービン]]4基<ref name="昭和造船史1-p784" />
|}
|出力 = 計画 100,000[[馬力|hp]]<ref name="昭和造船史1-p784" />
'''酒匂'''(さかわ)は、[[太平洋戦争]]中に建造された[[大日本帝国海軍|大日本帝国海軍(日本海軍)]]の[[軽巡洋艦]]で、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の4番艦。名前は静岡県および神奈川県を流れる[[酒匂川]]からとられている。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時は最後の水雷戦隊旗艦として[[七尾湾]]にて無傷で残存していた。終戦後は復員船として活動した。最終的にアメリカ軍の[[核実験|原爆実験]]([[クロスロード作戦]])の標的艦となり、沈没した。
|ボイラー = [[艦本式ボイラー|ロ号艦本式重油専焼缶]](空気余熱器付)6基<ref name="昭和造船史1-p784" />
|速力 = 計画 35[[ノット]]<ref name="昭和造船史1-p784" />
|燃料 = 計画 重油 1,420トン<ref name="昭和造船史1-p784" />
|航続距離 = 計画 6,000[[カイリ]] / 18ノット<ref name="昭和造船史1-p784" />
|潜航深度 = <!-- 潜水艦のみ -->
|乗員 = 計画乗員 700名 + 司令部26名<ref name="Ippan-p22">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」22頁。</ref>
|搭載量 =
|兵装 = [[50口径四十一式15cm砲|50口径15cm連装砲]] 3基6門 <ref name="Ippan-p4">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」4頁。</ref><br />[[六〇口径九八式八糎高角砲|九八式8cm連装高角砲]]2基4門 <ref name="Ippan-p4" /><br /> 25mm機銃 3連装10基<br />同 単装機銃18挺、据付台座13基(竣工時)<ref name="A-go">「あ号作戦後の巡洋艦兵装状況一覧表」[[#世界巡洋艦物語]]p.356。</ref><br />同 単装機銃21挺(最終時平時推定)<ref name="矢萩登p24">[[#矢萩登]]p.24。「1/200酒匂甲板敷物配置図」からの推定。</ref><br />同 単装機銃31挺(最終時戦時推定)<ref name="矢萩登p24" /><br />九二式四連装[[魚雷発射管|発射管]]四型2基8門<ref name="Ippan-p6">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」6頁。</ref><ref group="注釈">梅野和夫[[#阿賀野型の水雷兵装]]によると九二式四連装発射管一型。</ref><br />[[酸素魚雷|九三式一型改一魚雷]]16本<ref name="Ippan-p6" /><br />爆雷投下軌道2本<ref>[[#JapaneseCruisers]]p.604下の写真による。</ref><br />九五式[[爆雷]]18個<ref name="Ippan-p6" />
|装甲 = <b>計画</b><ref name="Ippan-p20">「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」20頁。</ref><br />機関部舷側 60mmCNC鋼、甲板 20mmCNC鋼<br />弾火薬庫舷側55mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼<br />舵取機室舷側 30mmCNC鋼、甲板20mmCNC鋼<br />操舵室舷側 30mmCNC鋼
|搭載艇 =<b>平時</b><ref>[[#JapaneseCuisers]]p.593</ref><br />11m内火艇1隻<br />9m内火艇1隻<br />12m内火ランチ1隻<br />9mカッター(救助艇)2隻<br />
<b>戦時</b><ref name="矢萩登p24" /><br />11m内火艇1隻<br>9mカッター1隻
|搭載機 = 計画 水偵2機<ref name="Umeno">梅野和夫[[#阿賀野型の航空兵装]]</ref>
|レーダー = [[21号電探]]1基<ref name="A-go" /><br />[[22号電探]]2基<ref name="A-go" /><br />[[13号電探]]1基<ref name="A-go" />
|ソナー =
|その他 = 呉式二号五型[[射出機]]1基<ref name="Umeno" />
|備考 =
}}
'''酒匂'''(さかわ)は、[[太平洋戦争]]中に建造された[[大日本帝国海軍|大日本帝国海軍(日本海軍)]]の[[軽巡洋艦]]で、[[阿賀野型軽巡洋艦|阿賀野型]]の4番艦。名前は静岡県および神奈川県を流れる[[酒匂川]]からとられている<ref>[[#聯合艦隊軍艦銘銘伝]]p.131。</ref>。戦争末期に竣工したため、作戦参加の機会もなく太平洋戦争終戦時は最後の水雷戦隊旗艦として[[七尾湾]]にて無傷で残存していた。終戦後は復員船として活動した。最終的にアメリカ軍の[[核実験|原爆実験]]([[クロスロード作戦]])の標的艦となり、沈没した。
 
== 艦歴 ==
=== 建造から終戦まで ===
仮称艦名「第135号艦」<ref name="昭和造船史1-p784" />。1942年(昭和17年)11月21日、[[佐世保工廠]]で起工。1944年(昭和19年)4月1日、軍艦籍に加入<ref>[[#内令昭和19年4月(1)]]p.1『内令第五百二十二号 艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 昭和十九年四月一日 海軍大臣嶋田繁太郎|軍艦、巡洋艦二等阿賀野型ノ項中「矢矧」ノ下ニ「、酒匂」ヲ加フ』</ref>。4月9日進水。同日附で[[横須賀鎮守府]]在籍<ref>[[#内令昭和19年4月(1)]]p.13『内令第五百三十三号 軍艦 酒匂 右本籍ヲ横須賀鎮守府ト定メラル 昭和十九年四月九日 海軍大臣嶋田繁太郎』</ref>。同年11月30日竣工。完成と共に呉に回航され<ref>[[#軽巡二十五隻]]245頁</ref>、12月11日より第11水雷戦隊旗艦<ref>[[#戦隊行動調書]]p.47『11sd 昭和19年12月11日 将旗ヲ酒匂ヘ』</ref>。上記にあるように、作戦参加の機会もなくもっぱら内地で訓練に従事していた。
 
1945年(昭和20年)3月には姉妹艦にして第二水雷戦隊旗艦「[[矢矧 (軽巡洋艦)|矢矧]]」とともに[[天一号作戦]](戦艦[[大和 (戦艦)|大和]]の[[坊ノ岬沖海戦|沖縄水上特攻作戦]])に参加する予定となり呉に移動したが、直前になって「酒匂」の出撃は中止され、呉工廠岸壁に係留。燃料不足のため、陸上から電気を引きボイラーの火は消された状態となった。7月15日、特殊警備艇に指定<ref>[[#秘海軍公報昭和20年7月(4)]]pp.10-11『内令第六四三號(略)横須賀鎮守府豫備艦 軍艦 酒匂 右特殊警備艦ト定ム(以下略)昭和二十年七月十五日 海軍大臣』</ref>。7月19日、[[舞鶴市]]に回航され、[[若狭湾]]の一角に停泊する<ref name="軽巡25隻246">[[#軽巡二十五隻]]246頁</ref>。[[B-29 (航空機)|B-29]]が投下した[[機雷]]によって艦尾附近に若干の損傷を受けたこともあったという<ref name="軽巡25隻246"/>。訓練すら出来なくなった後は、埠頭に横付けして藁の縄と植物で艤装を行った<ref name="軽巡25隻246"/>。藁に引火する恐れがあるため、対空射撃も禁止された<ref name="軽巡25隻246"/>。
 
=== 終戦-復員輸送 ===
1945年12月1日、「酒匂」は[[復員輸送艦|特別輸送艦]]に指定された。釜山、南洋諸島、ニューギニア、台湾などを航海し、復員輸送に従事。阿賀野型巡洋艦の定数乗組員約900名に対し、この時点の「酒匂」には約300名しか乗艦しておらず、武装を撤去し、甲板に居住区やトイレが設置された<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』412-413頁「復員航海」</ref>。武装について15cm、主は砲塔を残し砲身のみ撤去その他に高角塔は残ってい、魚雷発射管、機銃、各射撃指揮装置、探照燈、射出機、13号電探、22号電探なども撤去された<ref>[[#軽巡阿賀野型・大淀]]51頁の写真と解説、[[#JapaneseCruisers]]p.574 Photo 11.3, p.575 Photo 11.4, p.604 Photo11.10など戦後に撮られ写真による。</ref>。艦内秩序は維持され、同乗した豪州海軍の少尉が敬礼を求めると、大原艦長は「こっちは大佐だ」とやり返したという<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』414頁</ref>。
 
また[[北海道]]の[[函館港]]から[[朝鮮半島]]・[[釜山港]]へ、朝鮮半島出身労働者(約1000名)を送り届けたこともあった<ref name="軽巡25隻249">[[#軽巡二十五隻]]249-250頁『第三話 朝鮮出身者送還』</ref>。この時、戦勝国民を宣言し士官居住区解放を求める朝鮮半島出身労働者と酒匂乗組員との間に対立が起こった<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』416頁</ref>。だが「酒匂」が沖合いに出て猛烈な時化に襲われると彼らは[[乗り物酔い|船酔い]]に悩まされ、交渉は取りやめとなった<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』417頁</ref>。この時、朝鮮系労働者が航海中甲板の至るところで嘔吐・排便排尿をしたため、彼らが下艦した後、その処理に酒匂乗員は泣かされることになったという<ref>井川聡『軍艦「矢矧」海戦記』417-418頁、「軍艦『酒匂』始末記」</ref>。また釜山港の埠頭には多数の民衆が集まって朝鮮人労務者を歓迎し、英雄として迎え入れた<ref name="軽巡25隻249"/>。目撃した岩松(酒匂航海士)は、繰り返される[[万歳]]に複雑な想いを抱き、強い印象を受けたと回想している<ref name="軽巡25隻249"/>。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
<references group="注釈"/>
=== 出典 ===
<references />
 
**{{small|当時「酒匂」航海士・海軍中尉}}岩松重松『遅れてきた精鋭「酒匂」ビキニ環礁に死す {{small|戦うことなく終戦、原爆実験に供された阿賀野型四番艦への鎮魂譜}}』
* {{Cite book|和書|author=[[福井静夫]]|coauthors=|year=1961||month=5|title=終戦と帝国艦艇 {{small|わが海軍の終焉と艦艇の帰趨}}|publisher=出版共同社|isbn=|ref=終戦と帝国艦艇}}
* {{Cite book|author1=Eric Lacroix|author2=Linton Wells II|year=1997|title=Japanese Cruisers of the Pacific War|publisher=Naval Institute Press|ref=JapaneseCruisers}}
* {{Cite book|和書|author=[[福井静夫]]|year=1994|title= 福井静夫著作集第8巻 世界巡洋艦物語|publisher=光人社|isbn=4-7698-0656-6|ref=世界巡洋艦物語}}
* {{Cite book|和書|volume=丸スペシャル 日本海軍艦艇シリーズNo.5|title=軽巡 阿賀野型・大淀|publisher=潮書房|year=1976|ref=軽巡阿賀野型・大淀|}}
* {{Cite book|和書|editor=雑誌『[[丸 (雑誌)|丸]]』編集部/編|year=1990|title=<small>写真</small> 日本の軍艦 第9巻 <small>軽巡II</small>|publisher=光人社|isbn=4-7698-0459-8|ref=写真日本の軍艦第9巻}}
** {{Cite book|和書|author=梅野和夫|title=阿賀野型の航空兵装|pages=112-113頁|ref=阿賀野型の航空兵装}}
* {{Cite book|和書|series=明治百年史叢書 第207巻|title=昭和造船史(第1巻)|editor=(社)日本造船学会/編|edition=3|publisher=原書房|year=1981|origyear=1977|isbn=4-562-00302-2|ref=昭和造船史第1巻}}
* {{Cite book|和書|author=|title=日本海軍艦艇写真集 巡洋艦|volume=|editor=呉市海事歴史科学館/編|publisher=ダイヤモンド社|date=2005|isbn=4-478-95059-8|ref=日本海軍艦艇写真集巡洋艦}}
* {{Cite book|和書|author=矢萩登|title=矢萩登の素晴らしき艦船模型の世界|volume=|editor=|publisher=大日本絵画|date=2010-06|isbn=978-4-499-23021-6|ref=矢萩登}}
* 「二等巡洋艦 一般計画要領書 附現状調査」
 
== 外部リンク ==
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