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{{基礎情報 君主
| 人名 = カンデー・ラーオ・ホールカル2世
| 各国語表記 = Khande Rao Holkar II
| 君主号 = ホールカル家当主<br>インドール藩王
| 画像 = Khande Rao Holkar II.png
| 画像サイズ =
| 画像説明 = カンデー・ラーオ・ホールカル2世
| 在位 = [[1843年]] - [[1844年]]
| 戴冠日 = [[1843年]][[11月13日]]
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}}
 
'''カンデー・ラーオ・ホールカル2世'''(Khande Rao Holkar II, [[1828年]] - [[1844年]][[3月]][[17日]])は、[[インド]]、[[ホールカル家]]の当主、[[インドール藩王国]]の君主(在位:[[1843年]] - 1844年)。
 
==生涯==
[[1828年]]、カンデー・ラーオ・ホールカルはホールカル家一族の[[バープージー・ラーオ・ホールカル]]の長男として生まれた<ref>[http://www.royalark.net/India/indore4.htm Indore4] </ref>。
 
従兄弟で当主であるハリ・ラーオ・ホールカルは不健康のため、イギリスに後継者を養子で取るように迫られており、[[1841年]][[7月2日]]にカンデー・ラーオが正式にその養子となり、[[8月30日]]にそれが認められた<ref>[http://www.royalark.net/India/indore4.htm Indore4] </ref>。
 
[[1843年]][[10月24日]]、養父ハリ・ラーオ・ホールカルは死亡し、カンデー・ラーオ・ホールカル2世としてその後を継いだた<ref>[http://www.royalark.net/India/indore4.htm Indore4] </ref>。
 
ンデー・ラーオは義理の祖母である[[クリシュナ・バーイー・ホールカル]]の摂政のもと統治したが、彼は心身ともに虚弱で宰相の[[ラージャ・バーウ・パーンセー]]の実権にあった。
 
そして、[[1844年]][[3月17日]]、カンデー・ラーオは治世一年にも満たずに死亡した<ref>[http://www.royalark.net/India/indore4.htm Indore4] </ref>。
 
==出典・脚注==