「トリアージ」の版間の差分

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しかし、野戦病院のシステムはトリアージを行うことを前提に構築されているためトリアージ無しではシステムが機能しなくなるという問題があった。そのため、日本では「分類はするが優先順位はつけない」という欧米のトリアージを変形させた物になった。
 
その後、優先順位無しでは不便も多いことから、[[1923年]]([[大正]]12年)に陸軍軍医総監の[[石黒大介]]はトリアージを行わない建前で、軍医関係者にだけ順位が分かるような[[隠語]]的な優先順位をつける方式へ変化させた。このシステムは[[満州事変]]で初めて大々的に行われた。なお、[[日本軍]]では「在隊治癒可能な微傷者」「自分で歩ける[[歩行|徒歩]]可能者」「[[担架]]で搬送しなければならない重傷者」「助かる見込みの無い[[死者]]」に分類していた。
 
日本式のトリアージは第二次世界大戦([[太平洋戦争]])後に日本軍の[[解体#人間集団|解体]]と共に失われた。