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[[1714年]]に{{仮リンク|大蔵卿 (イギリス)|label=大蔵卿|en|Lord High Treasurer}} が廃止されるのに伴い、王室財政を担当する機関として大蔵卿委員会が創設された。その長である第一大蔵卿の歴史もこの時に始まる。
 
初期の大蔵卿委員は年功序列によって「第一大蔵卿」「第二大蔵卿」…と番号が割り振られていたが、次第に第一大蔵卿が政府の首席とみなされるようになる。[[1721年]]の[[ロバート・ウォルポール]]以後は事実上の[[イギリスの首相|首相]]となり、以降財政を司るのは大蔵卿委員会の次席である第二大蔵卿 (Second Lord of the Treasury) を兼務する[[財務大臣 (イギリス)|財務大臣]] (Chancellor of the Exchequer) となった。
 
首相 (Prime Minister) はその後も俗称にすぎなかったが、[[アーサー・バルフォア]]内閣時代の[[1905年]]になって正式な官職となった。わずかな例外を除いて首相は第一大蔵卿を兼任するのが慣例である。[[ウィリアム・ピット (小ピット)|ウィリアム・ピット]](小ピット)は首相兼第一大蔵卿のあり方について「財政の先頭にある人であるべきだ(ought to be the person at the head of the finances.)」という言葉を残している<ref>{{cite web|url=http://www.historyandpolicy.org/papers/policy-paper-102.html|title=The power of the Prime Minister|last=Andrew Blick and George Jones|date=June 2010|work=History & Policy|publisher=History & Policy|language=[[English language|English]]|accessdate=14 August 2011|location=[[United Kingdom]]}}</ref>。[[1942年]]までは[[庶民院院内総務]]もしくは貴族院院内総務も兼ねるのが通例であった。