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戦後[[福岡県]][[小倉市]](現[[北九州市]])でスタートした競輪を戦後復興の一助にしようということで[[1949年]]、[[東京都]]が主催して[[後楽園球場]]に隣接する場所に都内初の競輪場を開設。同年11月からレースを開催し、一般の競輪レース(9車立て)より3人多い12車立てで開催するユニークな経営方針を取り入れたことで人気を集めた。
 
[[1958年]]1月の開催では、一開催の入場者数が約27万人を記録するなど、全国一の売り上げを誇った。また、コースの内側にはグラウンドが設置されており、[[オリンピックサッカー競技|オリンピック]]予選を始めとする[[サッカー日本代表]]の試合が開催されたり、[[ボクシング]]や[[プロレス]]の興行、[[1958年]]には全日本自動車ショウ(現在の[[東京モーターショー]])が開かれたこともあった(同イベント<ref>全日本自動車ショウは翌1959年~1987年まで[[晴海 (東京都中央区)|晴海]][[東京国際見本市会場]]で開催された。</ref>
 
しかし[[1967年]]に東京都知事に当選した[[美濃部亮吉]]が、「東京都営のギャンブルは全面的に廃止する」方針を固めることを明らかにし、それに則って[[1972年]]10月26日に開催されたレースを最後に競輪の開催が廃止された<ref>法的には休止扱いとなっている。</ref>。ちなみに[[京王閣競輪場]]は都営が廃止された今日あと競輪の開催を[[調布市]]など周辺市に主催を移譲して開催している
 
競輪場としての使命を終えた同施設は後楽園球場を経営する後楽園スタヂアム(現在の[[東京ドーム (企業)|東京ドーム]])によって「後楽園ジャンボプール」として改装され、場内にはスタンドを利用した[[ゴルフ]]練習場も併設された。
 
その後、当地には[[1988年]]に日本初の屋根付き[[野球場]]である[[東京ドーム]]が建設されており、これまでに球場を舞台として競輪のレースを復活させようとする動きが再三出ている。しかし、競輪の復活に対する[[文京区]]や周辺住民の強い反対があり、現在のところ実現できる見通しは立っていない。
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==エピソード==
*[[2000年]]に[[SPEEDチャンネル]]で放送された、『名選手列伝・[[吉田実 (競輪選手)|吉田実]]』によると、[[1960年]][[11月3日]]の[[日本選手権競輪|全国争覇競輪]]決勝日には、推定7 - 8万人の入場者があったため、スタンド内に押し込まれて身動きが取れなくなった約1500名のファンが、途中から金網を上ってバンク内へと入り込み、決勝戦は、観客をバンク内に入れたまま行うという異常事態の中で行われた。この事例により、主催者だった東京都は、翌[[1961年]]の全国争覇競輪の開催が既に決定していたにもかかわらず、警備が困難という理由から開催を返上。加えて代替地に名乗りを挙げる施行者も現れなかったことから、同大会は[[1963年]]3月に[[一宮競輪場]]で行われるまで開催できなかった。
 
== 脚注 ==
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==関連項目==