「桜緋紗子」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
Category:新派Category:日本の舞台俳優。瀧川末子(桜入団時の花組トップスター。1913年 - 1933年)除去(ふさわしくない) |
|||
6行目:
父親は[[毎日新聞]]広島支局の[[記者]]だったが、小学校の時[[大阪]]に転勤。[[1926年]]、中学からは[[高等女学校|女学部]]が新設された[[学校法人帝塚山学院|帝塚山学院]]の[[帝塚山学院中学校・高等学校|帝塚山学院中学]]に進学。しかし[[阪東妻三郎]]がアメリカの[[ユニバーサル映画]]と提携して設立した「阪妻立花ユニヴァーサル聯合会社」の宣伝部長に父が迎えられたため、[[京都]]に移り精華高等女学校(現[[京都精華女子高等学校|京都精華女子高校]])に転校した。[[嵯峨野]]の自宅の隣に[[片岡千恵蔵]]プロが建ち、部屋の窓から俳優の姿が見えたという。
[[1929年]]、叔父に勧められ女学校を中退して憧れていた[[宝塚音楽学校|宝塚音楽歌劇学校]]へ入校。[[宝塚歌劇団19期生]]。[[1930年]]4月、[[宝塚歌劇団|宝塚少女歌劇団]][[花組 (宝塚歌劇)|花組]]の生徒として『春のをどり』で初舞台を踏
同期生には[[神代錦]]・[[園井恵子]]らがいて、寄宿舎で同室となった園井とは特に仲が良かった。[[春日野八千代]]・[[葦原邦子]]は[[宝塚歌劇団18期生|一期上]]
いい役に恵まれず4年が過ぎるが[[1933年]]11月、[[岸田辰彌]]に『プリンセスナネット』の主役に抜擢される。[[草笛美子]]の急病による降板で廻ってきたチャンスを掴んだ。[[1934年]]、[[星組 (宝塚歌劇)|星組]]に編入され『ラッキー・エール』のメリーを演じた後、『アルルの女』で[[男役]]スター・[[葦原邦子]]と組んでベルタを演じ、情熱的な瞳と可憐な雰囲気の娘役として売り出し、『憂愁夫人』で再び葦原と組んで[[ヒロイン]]・サラーを演じ圧倒的な人気を獲得した。
|