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* [[日本]]人との関わりも大変古く、[[1295年]]日持上人が[[日蓮宗]]の布教活動の為に本斗町阿幸に上陸した。
* [[樺太]]では珍しく、製紙工場を背景とせず林業や漁業や北海道との連絡する港町として発達した町であった。
* 交通の要衝であり樺太西線(本斗-久春内170.1キロ)と三菱石炭油化工業会社線(本斗-内幌炭山18.6キロ)の始発駅であとなっていた。
* [[鉄道省]]省営自動車本留線(本斗-留多加駅前71.5キロ)の基地となる本斗自動車区が置かれていた。
* 北日本汽船㈱による[[北海道]][[稚内]]への稚斗航路や[[海馬島]]への航路が就航していた。