「クィア」の版間の差分

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== 日本における「クィア」 ==
現時点で、発音、カタカナ表記ともに、日本語圏では「クィア」と呼ぶ/書くことが多い。ただし、書名などで、クイアやクイア理論も散見される。文学研究者の[[竹村和子]]は、クィアという言葉が、ファッショナブルに消費される可能性について、「変態」という常ならざるという立場を積極的に活かして、「変態理論」という訳表記可能であることについて述べている([[小森陽一 (国文学者)|小森陽一]] 『研究する意味』、[[東京図書]])。術語自体が検討散見されている。
 
日本における本語の普及は『クィア・パラダイス 「性」の迷宮へようこそ』(対談集、1996、[[翔泳社]])の執筆、雑誌『クィア・ジャパン』(1999-2001、[[勁草書房]])、『クィア・ジャパン・リターンズ』(2005、[[ポット出版]])の編集長としての、[[伏見憲明]]の労に依る面が大きい。
<!--(性的マイノリティの非当事者がクイアについて語るのは越権。) また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、[[2002年]]3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。-->
 
文学研究者の[[竹村和子]]は、クィアという言葉が、ファッショナブルに消費される可能性について、「変態」という常ならざるという立場を積極的に活かして、「変態理論」という訳も可能であることについて述べている([[小森陽一 (国文学者)|小森陽一]] 『研究する意味』、[[東京図書]]、[[2003年]])。
いずれにせよ現在の日本においては、英語圏におけるQueerという語の毒々しさ、それをあえて逆手にとるという戦略的な意味合いが薄れ、[[性的少数者]]や[[LGBT]]と同義か、ほとんど区別されない形で用いられがちである。イベントや団体の名称に用いられることも増えているが、実質的な定義抜きに用いられることも多く{{誰範囲|date=2015年8月|その意味で[[、バズワード]]の一種ということもできる}}。
 
<!--(ふたりが性的マイノリティでないとどう知ったの?)<!--(性的マイノリティの非当事者がクイアについて語るのは越権。) また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、[[2002年]]3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。-->
また、「クィア」という語を「定義」するか否かについて、[[社会学]]者の[[上野千鶴子]]と[[心理学]]者の[[小倉千加子]]が、『ザ・フェミニズム』([[筑摩書房]]、[[2002年]]3月、ISBN 4480863370)の中で議論している。上野はクィアを定義する必要を感じないことを主張し、小倉は一度定義し、突き壊すべきではないかと主張している。
 
いずれにせよ現在の日本においては、英語圏におけるQueerという語の毒々しさ、それをあえて逆手にとるという戦略的な意味合いが薄れ、[[性的少数者]]や[[LGBT]]と同義か、ほとんど区別されない形で用いられがちである。イベントや団体の名称に用いられることも増えている{{誰範囲|date=2015年8月|が、実質的な定義抜きに用いられることも多く{{誰範囲|date=2015年8月|その意味で[[、バズワード]]の一種ということもできる}}。
 
日本語発祥の用語と言われる「Xジェンダー」は、英語圏における"genderfluid"の語意に近似してはいるが、日本における独自のクィア概念である。
 
== 「クィア」を冠にした日本の運動・グループ ==