「柴田剛中」の版間の差分

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外国奉行の時代は現在の国会議事堂前庭辺りに屋敷があった。井伊直弼の屋敷の五軒隣。
引退後、東京では神田淡路町に屋敷を構え、こちらで亡くなっている。
墓は台東区下谷の随徳寺にあったが、関東大震災で損壊し、現在は過去帳のみにその名前が記載されている。
 
柴田家は三河の忍を配下に持つ家系で、家訓は「生延びよ。」