「石切剣箭神社」の版間の差分

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[[ファイル:Ishikiri Tsurugiya-Jinja kaminomiya1.jpg|thumb|220px|上之社]]
'''石切劔箭神社'''(いしきりつるぎやじんじゃ)は、[[大阪府]][[東大阪市]]にある'''神道石切教'''の神社。 [[延喜式神名帳]]に記載されている河内郡の[[式内小社]][[近代社格制度|旧社格]])。「石切劔箭命神社二座」。
 
== 歴史・概要 ==
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創建年代は、火災により社殿及び宝庫が悉く消失したため詳らかではないが、
代々の社家「木積」家には、[[皇紀2年]]に生駒山中の宮山に可美真手命が饒速日尊を奉祀されたのを神社の起源とし、[[崇神天皇]]の御世に現本社に可美真手命が奉祀されたと伝わる。
現在確認できる文献では、[[日本三代実録]](巻十一)に「[[貞観 (日本)|貞観]]7年9月22日に河内国正六位の石切劔箭神社従五位下を授く」との記述がみられ、[[延喜式]]神名帳]]にも「石切劔箭命神社二座」とみられる。
宮山の地にあった祭祀の場は、いつの頃か現上之社の場所に遷され、さらに明治38年には現在の本社本殿に合祀された。
その後も、上之社のあった土地は、奥の院として信仰を集め、いよいよ再興の気運が高まり、[[1932年|昭和7年]]に解体保存されていた本社の旧本殿を上之社に移し、[[1972年|昭和47年]]に往古の姿を取り戻した。
 
[[1975年|昭和50年]]には[[東京都]][[文京区]]に分祀され「石切東京分祀」が鎮座している。
 
== 祭神 ==
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:亀の池が有名。祭神は[[罔象女神]](みずはのめのかみ)と[[天水分神]](あめのみくまりのかみ)。
;五社明神社
:祭神は[[えびす|恵比須大神]]、[[大国主|大国主大神]]、[[住吉三神|住吉大神]]、[[稲荷神|稲荷大神]]、[[八幡神|八幡大神]]。
;神武社
:祭神は[[神武天皇]]。
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** [[近鉄奈良線]] [[石切駅]]から徒歩15分。
*上ノ宮
** [[近鉄奈良線]] [[石切駅]]から徒歩7分。
** 本社から東へ約1km、近鉄奈良線のガードをくぐって坂道を登る。