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'''朝乃翔 嚆矢'''(あさのしょう はじめ、[[1969年]][[12月23日]] - )は、[[神奈川県]][[小田原市]]出身(出生地は[[横浜市]])で[[若松部屋]]所属の元[[大相撲]][[力士]]。本名は小塚一(こづか はじめ、旧姓は大澤)、身長186cm、体重147kg。得意手は[[突っ張り]]、押し。最高位は西[[前頭]]2枚目([[1997年]]3月場所、[[1999年]]9月場所)、[[ABO式血液型|血液型]]O型。
 
==来歴==
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2000年9月場所は西幕下5枚目まで陥落したが振るわず2勝5敗と負け越し。さらに翌11月場所は椎間板ヘルニアが再発し全休。翌場所も全休し[[2001年]]3月場所には東三段目37枚目まで陥落した。このまま引退するのではないかとの噂もあったが土俵に上がり6勝1敗と最後まで優勝を争った。その後勝ち越しを続け東幕下26枚目まで番付を盛り返したが、[[網膜剥離]]を患い[[2002年]]1月場所前に現役を引退し[[年寄名跡#|準年寄]]・朝乃翔を襲名した。その後、[[年寄]]・[[若松 (相撲)|若松]]、[[佐ノ山]]、[[関ノ戸 (相撲)|関ノ戸]]、[[押尾川]]を経て、[[若藤]]親方で[[高砂部屋]]の部屋付き親方として後進の指導に当たっていたが、[[2008年]][[1月24日]]、[[栃乃花仁|栃乃花]]と[[栃栄篤史|栃栄]]が現役を引退し、それぞれ[[年寄名跡]]を襲名したことにより、押し出される形で[[日本相撲協会]]を退職した。
 
その後、2011年に発刊された「相撲」10月号で、二子山部屋の元幕下・大二子が社長、若泉が取締役を務める大阪の老舗物流会社「間口」で同社の相撲部監督を勤める傍ら、「総合営業職」として第二の人生を歩んでいる事が紹介されている。他に、同社には先述の二人にとっては部屋の後輩に当たる元幕下・若風、貴乃洸、朝乃翔にとっては部屋の後輩に当たる元幕下朝陽丸も社員として登用されている。
 
[[コンタクトレンズ]]を着用して本場所の土俵に上がった最初の力士でもある。