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{{Pathnav|日本|東京都|世田谷区|frame=1}}
'''松原'''(まつばら)は、[[東京都]][[世田谷区]]の一地区である。現行行政地名は松原一丁目から六丁目。<!---人口は、 人(2007年月日現在、住民基本台帳による。世田谷区調べ)-->
 
[[画像:Matsubara.jpg|thumb|250px|right|松原]]
 
== 地理 ==
東京都世田谷区の北部に位置し、同区北沢地域に含まれる。東に[[大原 (世田谷区)|大原]]、[[羽根木]]、南に[[梅丘]]、[[豪徳寺 (地名)|豪徳寺]]、西に[[赤堤]]、北に[[杉並区]][[和泉 (杉並区)|和泉]]、[[永福]]、[[高井戸|下高井戸]]と接する。
 
[[鉄道]]は、[[京王線]][[京王井の頭線]][[明大前駅]]、京王線[[東京急行電鉄|東京急行]][[東急世田谷線|世田谷線]][[下高井戸駅]]、世田谷線[[松原駅 (東京都)|松原駅]]、京王井の頭線[[東松原駅]]が設置され、幹線道路は[[国道20号]]に接し、赤堤通りが通る。なお、[[東京都市計画道路幹線街路補助線街路第54号線|補助54号線]]の既開通区間もあるが、区間が短く、他の道路との接続状況とも相まって、幹線道路としての機能は弱い。
 
地形は南に向かって下る傾向がある。河川は、西から東に流れる[[北沢川 (東京都)|北沢川]]に南で接するが、それは暗渠化されている。
 
上記の鉄道各駅周辺、国道20号沿いに[[商業地]]があり、その他は[[住宅地]]が多い。なお、[[北沢警察署]]、北沢[[税務署]]が存し、[[警察署]]等の管轄のみならず、世田谷区北沢地域の物理的中心に近い位置関係が示されている。
 
明大前駅の存する一丁目、二丁目、下高井戸駅の存する三丁目、松原駅の存する四丁目、東松原駅の存する五丁目、[[梅ヶ丘駅]]に近接して「梅ヶ丘」「梅丘」を称する施設等が散見される六丁目と様々な側面もある。
 
これらの駅、幹線道路の周辺に近隣商業地等の[[商業地]]がある他は、[[住宅地]]が多い。
 
=== 地価 ===
住宅地の地価は、[[2014年]]([[平成]]26年)[[1月1日]]の[[公示地価]]によれば、松原4-34-3の地点で51万3000円/m{{sup|2}}となっている。
 
== 歴史 ==
元々、[[東京府]]([[武蔵国]])[[荏原郡]]松原村であった。その後、[[上北沢]]村、赤堤村と合併して松沢村となり、[[東京市]]編入、[[住居表示]]実施等を経て、現在の形となった。上記各鉄道の開業後、急速に[[宅地]]化が進む。
 
[[1926年]]([[大正]]15年)[[4月]]には、医師で歌人の[[斎藤茂吉]]が後に院長を務めた[[精神病院]]、[[青山脳病院]]が、東京市[[赤坂区]]青山南町(当時)から移転して開院した。この病院は[[大東亜戦争]]末期の[[1945年]]([[昭和]]20年)3月、[[東京都]]に譲渡されて[[東京都立松沢病院]]分院となり、その後[[東京都立梅ヶ丘病院]]と改組・改名されて[[2010年]]([[平成]]22年)まで同地で診療していた<ref>[http://cyber.gssc.nihon-u.ac.jp/kiyou/pdf10/10-365-376-Koizumi.pdf 斎藤茂吉と青山脳病院再建] 小泉博明 日本大学大学院総合社会情報研究科紀要 No.10(2009)</ref>。
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
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* [[宮脇俊三]]
** 北と宮脇は松原に在住していた。自宅の建築場所を探していた北に宮脇が自宅の隣の空き地を紹介し隣人となったため、北と宮脇は家族ぐるみで交際するようになった。
* [[世田谷区立松原小学校]] (五丁目)
* [[世田谷区立梅丘中学校]] (六丁目)
 
== 外部リンク ==
{{世田谷区の町名}}
* [http://www.city.setagaya.lg.jp/index.html 世田谷区]
 
{{世田谷区の町名}}
{{DEFAULTSORT:まつはら}}
[[Category:世田谷区の町名]]