「王建 (前蜀)」の版間の差分

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=== 即位 ===
[[天祐 (唐)|天祐]]4年([[907年]])に[[唐]]が[[後梁]]に滅ぼされると、後梁の支配を嫌い、皇帝を称して[[元号]]を[[天復 (唐)|天復]]{{要曖昧さ回避|date=2016年1月}}と改め、国号を'''大蜀'''と定めた。後世の史家は'''前蜀'''と呼びならわしている。
 
天然の要害である地理条件と、塩や鉄といった重要資源を豊富に産出する経済条件を利用し、在位期間中は国内の安定に力を注いだ。農業振興と水利事業を推し進め、'''与民休息'''の政策を実現した。また、多くの文人が平和を求めて前蜀に移動し、彼らを保護する文化振興政策も実行している。しかしその反面、国内への監視に注意を払い、[[尋事団]]と呼ばれる秘密警察を作り、不満分子を圧殺した一面も有している。