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== キリスト教における異端 ==
[[キリスト教]]においては「異端」は様々な用法があるが、例えば党派心、教会の統一を破るもの、不信仰、キリスト教だと称するが伝統的なキリスト教の教えを踏み外している教義・学説などを呼ぶための言葉として用いられてきた<ref name="shuukyougaku_itan" />。キリスト教においては、「異端」は、キリスト教でないものに対して使われる場合と、キリスト教の中にある異端的な説に対して使われる場合がある。
 
=== 歴史 ===
異端はすでに初代教会に存在したとされる。[[パウロ書簡]]にはたびたび分争への警告がなされている。(後)パウロ書簡である『[[コロサイの信徒への手紙|コロサイ書]]』および『[[テトスへの手紙]]1』などには、非正統的教義を信奉するものへの警告がなされている。伝承では『テトスへの手紙1』に登場するニコラオは、[[使徒録]]にある[[執事 (キリスト教)|執事]]ニコラオと同一視され、彼が一派を起こして独立し、異端となったものだとする(黙示録2:15)。
 
異端反駁は、異教反駁と並び、初期の教会著述者の大きな主題のひとつであった。当時の異端派についての研究は、そのような著述家による引用に多くを負っている。キリスト教教義とその文書は、異端とされたそのような説への反駁によって形成され洗練されていったという側面ももっている。対立点は、救いの条件、[[洗礼]]の方式、キリスト理解、ユダヤ教との関係、個人の罪と赦し、[[聖霊]]についての理解、教会論など多岐にわたった。教会組織において、統制のためいくつかの説またその信奉者が「異端」とされ、異端とされた説を教会で教えることや、異端の者が教会の公的な礼拝に与ることが禁止された。異端者とその取り扱いについての規定は、最古の教会法文献である『[[ディダケー]]』(1世紀)にすでに記載されている。教会組織が成熟していくにつれ、異端の判断は教会高位聖職者が組織的決定として行うようになっていく。
 
はじめキリスト教が非公認の宗教であった時代には、教義間の問題は教会内の問題であり、それほど大きな社会的問題にはならなかった。しかし、キリスト教が[[国教会]]として公認され、信者が公に活動をはじめると、異なる教説を奉じる者の間の対立は大きく、教会人事に影響を及ぼすにとどまらず、教会外で騒乱を起こすまでになった。最初の[[公会議]]である[[第1ニカイア公会議]]が皇帝の主宰で開催されたのは、[[アリウス派]]と[[アタナシウス派]]を中心としたこのような状況を打開するためであった。結果的に、アリウス派が「[[アナテマ]]」(呪い、異端の意)を宣告され、教会から追放されたが、事態が収拾されるまでには数十年を要した。
 
その後も教会会議や公会議による異端説の追放が行われた。そのほとんどは現存していない。しかし一定の範囲で支持を得ている説が異端とされたときには、むしろ教会の分裂([[シスマ]])と呼ぶのがふさわしい状況が出来た。[[東方諸教会]][[正教会]][[カトリック教会]]、さらには[[プロテスタント]]の区別は、こうした大きな集団の対立と、相互を異端として退けるなかから、生じてきたのである。
 
異端を理由とした死刑は、[[西方教会]]で行われるようになり、[[アルビ派]]および[[ワルドー派|ワルド派]]が出る中世盛期には、異端裁判所を設けた組織的な異端摘発が行われるようになった。当時[[異端審問]]に深くかかわった[[ドミニコ会]]はこのため canis domini (主の[[番犬]])の二つ名を負うほどになった。近世の[[スペイン]]では[[レコンキスタ]]運動と融合し、異端審問が激しく行われた。異端審問はまた、カトリックと対峙したプロテスタント地域でも激しく行われた。ローマ・カトリック教会は、プロテスタントを含め異端とみなした多くの者を処刑しているが<ref>『フランス・プロテスタント-苦難と栄光の歩み』</ref>、プロテスタント圏においても、ジュネーブ市当局は[[三位一体]]を否定した[[ミシェル・セルヴェ|ミカエル・セルヴェトゥス]]を処刑した。いっぽう[[東方教会]]では、一般に、異端者は教会から追放され結果として社会的制裁を受けるにとどまり、西方のような組織的な異端摘発がなされることはなかった。
 
上述のようなことがあったが(そうした歴史の負の側面が自覚されるようになり)、最近のキリスト教では、'''[[エキュメニズム]]'''(世界教会運動)の重要さが広く認知されている<ref name="shuukyougaku_OH" />。キリスト教内での運動とともに、人類の[[幸福]]という共通目標のため、他宗教と対話・連携を行う重要さも認識されるようになっており、そうした活動も[[エキュメニズム]]と呼ばれている。近年では、実際に他宗教の指導者とさかんに対話が行われており、キリスト教も含めて様々な宗教の指導者が一同に集って、人類のため、あるいは何らかの災害にあった人々のために、宗教の種類を乗り越え共同で祈りを捧げたり、共同の見解を報道に対して発表する、といった活動がさかんに行われている。
 
=== 現行の異端規定 ===
「異端」を定義する基準は、多くの教派で共有できる、[[ニカイア信条]]、[[ニカイア・コンスタンティノポリス信条]]、[[カルケドン信条]]、[[使徒信条]]など'''[[基本信条]]'''からの逸脱である。
 
==== ローマ・カトリック教会の異端規定 ====
古代から中世中期までは[[公会議]]において、中世後半以降は[[異端審問]]などで、異端宣告がしばしばなされた。現在のローマ・カトリック教会においては、「異端」を、教会法の中で、次のように定義している。
 
*教会法によれば洗礼後、名目上キリスト教徒としてとどまりつつ意識的・意図的に神の意志に対して反対するのが異端であり、これは信仰の諸前提から誤って導き出された神学的誤謬とは区別されなければならない<ref>新カトリック大事典編纂委員会編、「新カトリック大事典」、1996年</ref>。
<!--*今日では異端とは客観的意義に於いては狭義のカトリック教理に反する命題、又主観的意義に於いてはかかる命題の容認、或る天啓的信仰事項として (fide divina)、又は公教的信仰事項として (fide catholica) 信ずべき真理の頑固な否定、または真剣な懐疑を指す(教会法1325条2項)<ref>上智大学、独逸ヘルデル書肆共編、「カトリック大事典」、1940-1942年</ref>。-->
<!--↑現行の教会法(1983年発行のカトリック新教会法)には、そのような規定はありません。-->
<!--ただし[[統一協会]]については、カトリック教会による「キリスト教とあまりにも無関係で、異端ですら無い」との宣告がある。カトリック関係者から疑義が付されているのでc/oします。answer:教皇庁キリスト教一致推進事務局の1986年の報告書というものが存在するようです。又、百瀬神父やメネシェギ神父の著作「キリスト教に問う65のQ&A」「諸教派のあかしするキリスト」などで他二者より強い「キリスト教ではない」「キリスト教と本質的に異なる」との言及があります。-->
<!-- 神父の個人的な意見は、「教会の宣告」ではないです。教皇回勅とはいいませんが、使徒的書簡とか教理庁長官書簡といった公的な文書でなければ「教会の宣告」とはいわないのではないでしょうか。「報告書」は微妙ですが、「宣告」というのとは違うと思われます。-->
 
カトリック教会は[[使徒継承]]のない[[プロテスタント]]を教会と認めておらず、聖座に従わない[[正教会]]についても欠陥があるとみなしている<ref>[http://www.rokko-catholic.jp/Training/tuesdayclass/tuesdayclass-rejime-7-1.htm 「キリストの教会:教会の唯一絶対性」]カトリック六甲教会2008年-2009年</ref><ref name="20070712today">[http://www.christiantoday.co.jp/international-news-1045.html バチカン「カトリック教会は唯一真の教会」] (2007年07月12日 [[クリスチャントゥデイ]])</ref><ref>{{cite news
| url = http://japanese.donga.com/srv/service.php3?biid=2007071219808
| title = ローマ法王、「カトリック教会だけが唯一の教会」
| newspaper = [[東亜日報]]
| date = 2007-07-12
| accessdate = 2010-01-02
}}</ref>。
 
==== プロテスタント諸派の異端規定 ====
{{観点|section=1|date=2016年1月}}
[[使徒信条]]は異教とキリスト教を切り分けるものに過ぎない<ref>[[小野静雄]]『日本プロテスタント教会史』下 聖恵授産所 p.243</ref>。プロテスタント教会にとっては「聖書のみに基づく信仰からの逸脱」もプロテスタント信仰からの逸脱であり、異端的な誤りであるとみなされる<ref>[[尾山令仁]]『聖書の教理』羊群社。</ref><ref>[[岡田稔]]『岡田稔著作集』[[いのちのことば社]]</ref>。[[福音主義同盟]]は[[1846年]]に確認された[[福音主義]]の9ヶ条で[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]、[[ユニテリアン]]、[[自由主義神学]](リベラル)の立場を退けており<ref>[[宇田進]]『福音主義キリスト教と福音派』</ref>、これは日本で最初のプロテスタント教会に採用されたが<ref>[[中村敏]]『日本キリスト教宣教史』</ref>、[[超教派]]で活動するための基準に過ぎず、教会形成に必要な信仰基準としては不十分とされる<ref>[[小野静雄]]『日本プロテスタント教会史』上</ref>。プロテスタントの[[教会のしるし]]に[[戒規]]があり、異端、誤りは[[戒規]]にされ、追放されなければならないとされる<ref>[[クラス・ルーニア]]『現代の宗教改革』小峯書店</ref><ref>[[尾山令仁]]『聖書の教理』[[羊群社]]</ref><ref>[[マーティン・ロイドジョンズ]]『教会とは何か』[[いのちのことば社]]</ref>。[[改革派教会]]とローマ・カトリックの異端判断の相違は、ローマ・カトリックが[[ローマ教皇]]から離れる分離を異端の本質とみなしており、また[[エキュメニズム]]も分離を非難するのに対し、改革派は教会のしるしを主張し、聖書を基準として異端の摘発がなされねばならないとする<ref>[[岡田稔]]『キリストの教会』「異端排撃論」p.47-65 小峯書店</ref>。[[福音派]]は、[[シンクレティズム]]、[[宗教多元主義]]、[[新普遍救済主義]]を異端として退けている<ref>[[日本伝道会議]]『京都宣言-解説と注解-』[[いのちのことば社]]</ref><ref>水草修治『ニューエイジの罠』CLC出版</ref><ref>[[ジョン・ストット]]『[[ローザンヌ誓約]]-解説と注釈』</ref>。[[自由主義神学|リベラル派]]においては、何かを異端とみなすこと自身が不寛容であり、キリスト教に異端はいないとする思想もある<ref>『キリストの教会』p.51</ref><ref>[[ジョン・グレッサム・メイチェン]]『[[キリスト教と自由主義神学|キリスト教とは何か-リベラリズムとの対決]]』いのちのことば社。</ref>。リベラル派では、プロテスタントとしての自覚が希薄となり、聖書を神の言葉と信じる信仰も重視せず「聖書のみに基づく信仰からの逸脱」も単に[[プロテスタンティズム]]に反するに過ぎないとみなされる場合がある。