「WWFインターナショナル・タッグ王座」の版間の差分

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もともとは '''WWWFインターナショナル・タッグ王座'''として、[[WWE|WWWF]]の本拠地であった[[アメリカ合衆国北東部]]の[[ニューヨーク州]][[ニューヨーク]]や[[ペンシルベニア州]][[ピッツバーグ]]を中心に防衛戦が行われていた。当時のWWWFにおける最高位のタッグ王座であったが、[[1972年]]に[[NWF]]のピッツバーグ地区買収に伴い王座空位となる。その後、13年の歳月が経過した[[1985年]]に、当時[[WWE|WWF]]([[1979年]]にWWWFより改称)と業務提携を結んでいた[[新日本プロレス]]において、'''WWFインターナショナル・タッグ王座'''として復活した。
 
1985年5月24日、[[神戸市|神戸]]にて[[藤波辰爾|藤波辰巳]]&[[木村健悟|木村健吾]]と[[ディック・マードック]]&[[アドリアン・アドニス]]の間で王座決定戦が行われ、リングアウト勝ちで藤波組が勝利を収めて新王者チームとなった。以後、マードック&アドニス組 [[キングコング・バンディ]]&[[アレン・コージ|バッドニュース・アレン]]や[[ハクソー・ヒギンズ]]&[[ケリー・ブラウン]]などのチームを相手に防衛戦が行われた。
 
王座復活から5ヶ月後、1985年10月31日付けで新日本プロレスとWWFの契約が終了したことに伴い王座を返上。10月4日に[[中島公園#中島体育センター別館 (中島スポーツセンター)|札幌中島スポーツセンター]]で行われた[[フォン・エリック・ファミリー|フォン・エリックス]]([[ケビン・フォン・エリック]]&[[ケリー・フォン・エリック]])との両者リングアウトによるドロー防衛が最後のタイトルマッチとなった。その後は現在も空位の状態であることから「封印王座」として取り扱われている。なお、同王座と同様に[[WWFインターナショナル・ヘビー級王座]]と[[WWFジュニアヘビー級王座]]も返上・封印されている。