「都はるみ」の版間の差分

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京都出身であることにちなんで当初は「京はるみ」という芸名でのデビュー予定だったが、既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更された<ref>[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2008/03/post_e025.html 有田芳生の『酔醒漫録』2008年3月30日付]</ref> <ref>のちに映画[[男はつらいよ 旅と女と寅次郎]]では「京はるみ」役を演じている</ref>。
 
[[有田芳生]]とは、有田の『歌屋都はるみ』(1994年刊行)の取材および執筆を機に親しくなり、都の公式サイトでは有田を「都はるみの大親友」としている<ref>[http://miyakoharumi.net/link10.htm 都はるみホームページ「リンク」]</ref>。[[中村一好]]の死去の際、有田は中村を「兄のような存在だった」と述べている<ref>[http://saeaki.blog.ocn.ne.jp/arita/2008/04/post_0ff8.html 有田芳生の『酔醒漫録』2008年4月8日付]</ref>。2014年6月8日、有田は自身のTwitterで「都はるみの父親が[[韓国人]]」とツイートした<ref  name = "KOREAN" />これに対しTwitter上で「都はるみさんの父親が韓国人なんて初めて知ったんですけど 有田議員が勝手にプライベートを暴露していいんですか?」<ref>[https://twitter.com/Bloomania17/status/477292496490225664 有田芳生へのリプライ]</ref>との批判と質問がなされたが、それに対する回答はしなかった。
 
当時[[西郷輝彦]]のマネージャーをしていた[[相澤秀禎]]は「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、[[日本レコード大賞|レコード大賞]]に出演していた都を見て、今まで味わったことのない「気」、「[[オーラ]]」を感じ、是非ともマネージメントしたいと思ったという。都の母に毎晩電話するなどしてアプローチしたこともあり、約9年後に都は相澤の「[[サンミュージック]]」に所属することになった<ref name="ninkidukrinohousoku"/>