「イヴ・ナット」の版間の差分

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幼くして音楽の才能を示し、10歳のときに自作を指揮。その演奏を聴いた、[[カミーユ・サン=サーンス|サン=サーンス]]や[[ガブリエル・フォーレ|フォーレ]]に[[パリ音楽院]]への進学を勧められる。パリ音楽院では[[1907年]]にピアニストの[[ルイ・ディエメ]]のピアノ・クラスで首席を獲得している。
 
彼の国際的な活動は、[[1909年]]に[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]に連れられた渡英にはじまる。ヨーロッパやアメリカ各地各地で演奏旅行を行い、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]や[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の演奏で評価された。[[ヴァイオリニスト]]の[[ジャック・ティボー]]や[[ジョルジュ・エネスコ]]、[[ウジェーヌ・イザイ]]らとも頻繁に演奏旅行を行っている。
 
[[1934年]]に、母校[[パリ音楽院]]での教育と、自らの作曲活動に集中するため、演奏活動を退く。亡くなる[[1956年]]まで、パリ音楽院の指導的教師の一人として、[[ジュヌヴィエーヴ・ジョワ]]や[[ピエール・サンカン]]らを育てた。