イヴ・ナット

イヴ・ナットYves Nat, *1890年12月29日 ベジエ - †1956年8月31日 パリ)はフランスピアニスト作曲家

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略歴編集

幼くして音楽の才能を示し、10歳のときに自作を指揮。その演奏を聴いた、サン=サーンスフォーレパリ音楽院への進学を勧められる。パリ音楽院では1907年にピアニストのルイ・ディエメのピアノ・クラスで首席を獲得している。

彼の国際的な活動は、1909年ドビュッシーに連れられた渡英にはじまる。ヨーロッパやアメリカ各地各地で演奏旅行を行い、ベートーヴェンシューマンの演奏で評価された。ヴァイオリニストジャック・ティボージョルジュ・エネスコウジェーヌ・イザイらとも頻繁に演奏旅行を行っている。

1934年に、母校パリ音楽院での教育と、自らの作曲活動に集中するため、演奏活動を退く。亡くなる1956年まで、パリ音楽院の指導的教師の一人として、ジュヌヴィエーヴ・ジョワピエール・サンカンらを育てた。

一方1950年代にはピアノの演奏活動を再開、1951年から1955年にかけてベートーヴェンのピアノ・ソナタの全曲録音を実現させた。

スタイル編集

先述のベートーヴェンのほか、シューベルトヴェーバー、シューマン、ブラームスといった、とりわけドイツロマン派音楽を得意とした。

非常に精緻なアゴーギク、計算されたルバート、タッチの節制など多くのフランス人の演奏スタイルとはかけ離れている。アルフレッド・コルトーのように長い指を生かした芳醇な音色で攻めるのとは、正反対のアプローチのシューマンが聴き物である。残されたLPから指捌きに難のあることが確認できるが、ナットの指は短く本人も特別な運指で対応していたためやむを得なかったことを語っている。(cf.ラルース事典)残された録音は保存状態が良好ではなく、彼がどのような音色を描いていたかについてはあまりよくわかっていない。

作品編集

ピアノ曲室内楽のほか、合唱と管弦楽のための《地獄 L'enfer》(1942年)やピアノ協奏曲1953年)がある。ピアノ協奏曲は1954年2月4日に作曲者のピアノとデルヴォー指揮フランス国立放送管弦楽団によって初演された。(奇しくもこれが彼の最後の公開演奏となった)

エピソード編集

高弟であった井口基成に、「ぜひ私のピアノ協奏曲を日本初演していただくように」と念を押された。しかし、井口は趣味が合わないせいか、なぜか演奏することはなかった。