「他戸親王」の版間の差分

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HARASAWA Y (会話 | 投稿記録)
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[[Image:Tomb of Prince Osabe.jpg|240px|thumb|他戸親王墓(奈良県五條市)]]
ところが宝亀3年([[772年]])、突如母親である[[皇后]]井上内親王が夫である天皇を呪ったという[[大逆]]のかどで皇后を廃され、[[5月27日 (旧暦)|5月27日]]にはこれに連座する形で他戸親王が皇太子を廃される。更に翌宝亀4年[[10月19日 (旧暦)|10月19日]]には、同年[[10月14日 (旧暦)|10月14日]]に薨去した[[難波内親王]](光仁天皇の同母姉)を井上内親王が呪詛し殺害したという嫌疑が掛かり、他戸親王は母と共に[[庶人]]に落とされ、[[大和国]]宇智郡(現在の[[奈良県]][[五條市]])没官の邸に幽閉され、やがて宝亀6年(775年)4月27日、幽閉先で母と共に急死する(この突然の死については暗殺説もある)。一連の事件は[[桓武天皇|山部親王]]の立太子を支持していた藤原式家による他戸親王追い落としの陰謀であるとの見方が有力である。
 
かくして、山部親王が皇太子に立てられてやがて桓武天皇として即位する事になるものの、他戸親王の死後には天変地異が相次ぎ、更に宝亀10年([[779年]])には[[周防国]]で親王の偽者が現れるなど、「他戸親王の[[怨霊]]」が光仁・桓武両朝を悩ませる事になっていくのである。