「和歌山県第1区」の版間の差分

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設置された当初、この選挙区を地盤としていたのは旧和歌山1区時代から6選中であったものの長男の[[大麻]]所持によって一旦は議員辞職した[[中西啓介]](自民党→[[新生党]]→[[新進党]])で、[[1996年]]の[[第41回衆議院議員総選挙]]において当選し議員に返り咲いた。しかし、[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]では自民党和歌山県連が中西への選挙協力を拒絶し、中西推薦を決定した党本部に反旗を翻して独自に[[谷本龍哉]](表向きは[[無所属]])を擁立。[[連立政権|連立与党]]である[[保守新党|保守党]]に対して、自民党和歌山県連が刺客を擁立するという保守分裂の様相を呈した選挙で中西は谷本に2万票近い差を付けられて破れ、落選した。
 
その後、正式に自民党に入党した谷本が[[2003年]]の[[第43回衆議院議員総選挙]]、[[2005年]]の[[第44回衆議院議員総選挙]]を制して3期連続で当選を続けていたが、[[2009年]]の[[第45回衆議院議員総選挙]]では[[民主旋風]]の煽りを受けて谷本は[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[岸本周平]]に5万票近い大差を付けられて惨敗し議席を失った。
 
[[2012年]]の[[第46回衆議院議員総選挙]]では[[与党]]民主党への逆風の中で岸本は自民党の擁立した新人、[[門博文]]の猛烈な追い上げを受けたが300票差という僅差で辛くも門を退け議席を守った。[[2014年]]の[[第47回衆議院議員総選挙]]でも岸本と門の横一線の情勢が続いたが、これも岸本が7,803票差で再び門を下し3選。
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|[[第44回衆議院議員総選挙]]||[[2005年]]||谷本龍哉||自由民主党
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|[[第45回衆議院議員総選挙]]||[[2009年]]||[[岸本周平]]||[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]
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|[[第46回衆議院議員総選挙]]||[[2012年]]||岸本周平||民主党
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|当選者名 = [[岸本周平]]
|当選者年齢 = 58
|当選者所属 = [[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]
|当選者新旧別 = 前
|当選者得票数 = 67,740