「フュージョン (音楽)」の版間の差分

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== 概要 ==
電気楽器をジャズに導入する試みは、[[1960年代]]後半から開始された。[[マイルス・デイヴィス]]の「[[イン・ア・サイレント・ウェイ]]」 (1969)と「[[ビッチェズ・ブリュ]] (1970)初期のエレクトリック・ジャズの代表作である。電気楽器を使用したジャズは、当初はジャズ・ロックやエレクトリック・ジャズと呼ばれることが多かった。それ以前の1966年に、[[ラリー・コリエル]]のザ・フリー・スピリッツのアルバムが発表されているが、知名度はきわめて低かった<ref>[http://www.allmusic.com/artist/the-free-spirits-mn0000067673 The Free Spiritsのバイオグラフィー(AllMusic)]</ref>。さらに1970年代(72年ごろ)に入ると、[[ソウル・ミュージック]]や[[ラテン音楽]]の要素を取り入れ、[[クロスオーバー (音楽)|クロスオーバー]]と呼ばれるようになる。同時期には[[クラシック音楽]]を題材にした曲もあり、[[デオダート]]の「[[ツァラトゥストラはこう語った (交響詩)|ツァラトゥストラはかく語りき]]」([[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]])や、[[ボブ・ジェームス]]の「[[禿山の一夜|はげ山の一夜]]」([[モデスト・ムソルグスキー|M.ムソルグスキー]])等がある。また[[ジャン=リュック・ポンティ]]のアルバムも話題になった。70年代半ばになり、クロスオーバーをさらに商業化したサウンドが現れるようになると、他のジャンルと融合した音楽という意味で、それらの音楽を'''フュージョン'''と呼ぶようになった。同時代の「ディスコ」や「産業ロック」と同じように、商業主義的だとして批判されることもあった。77年ごろにさかんにNHKFMを中心とした日本のFM局でオンエアされたミュージシャンには、リー・リトナー、ラリー・カールトン、アル・ディ・メオラ、高中正義らがいた。78年にはチャック・マンジョーネの「フィールズ・ソー・グッド」<ref>http://www.tonozuka.net/MEDIA.html </ref>が、全米でトップ5に入る大ヒットとなった。アール・クルーがインスト・カバーした「ダンス・ウィズ・ミー」(オリジナルはオーリアンズ)は、天気情報番組のバックでさかんにオンエアされた。1990年代から現在にかけては、フュージョンをさらに洗練させて、大衆に聞きやすくした'''[[スムーズジャズ]]'''のジャンルに移行している。
 
アメリカの[[ビルボード]]誌においては、フュージョンはコンテンポラリー・ジャズに分類される場合がある。ここで混されやすいのは[[モダン・ジャズ]]との違いである。日本におけるモダンジャズの'''モダン(現代の)'''とは、主に50年代以降のバップ以降の[[ストレ、ハアヘド]]プ、ファンキータイプのジャズなど示す言葉であ指していと考えた方がいいだろう
 
フュージョンの曲の多くがボーカル無しの[[インストゥルメンタル]]であることも大きな特徴であり、このような楽曲的特徴から、[[バックグラウンドミュージック|BGM]]としても馴染みの良い音楽に仕上がっているため、番組専用の音楽が作られていない[[テレビ]]・[[ラジオ]]番組において、あらゆる場面であらゆるフュージョンアーティストの楽曲がテーマ曲や[[BGM]]として多用されているほか、中には番組テーマ曲として使用されることを前提として作られた曲も存在する。
 
== 詳細 ==
1960年代半ばに[[キャノンボール・アダレイ]]が「[[マーシー・マーシー・マーシー]]」などの楽曲で、ジャズとソウルを融合した音楽を演奏し始めた。しかしこれはフュージョンとは呼ばれず、[[ファンキー・ジャズ|ソウル・ジャズ]]と認識された。'60年代後半になると[[マイルス・デイヴィス]]や[[トニー・ウィリアムス]]の[[ライフタイム]]が[[エレクトリックギター|エレクトリック・ギター]]や[[ベース・ギター]]、[[エレクトリック・ピアノ]]といった[[電気楽器]]を用いてロックをジャズに取り入れ、エレクトリック・ジャズ、[[ジャズ・ロック]]、クロスオーバーと呼ばれる演奏を始めた。後に[[ハービー・ハンコック]]や[[ジョー・ザヴィヌル]]、[[ヤン・ハマー]]、[[チック・コリア]]等が[[モーグ・シンセサイザー]]を取り入れている。
 
その後、トランペッターの[[マイルス・デイヴィス]]が『[[イン・ア・サイレント・ウェイ]]』 (1969)と『[[ビッチェズ・ブリュー]]』 (1970)を発表し、更には[[デオダート]]が1972年に「ツァラトゥストラはかく語りき」(『Prelude』収録)を発表し、これらがクロスオーバーやフュージョンの雛形となった。
 
==日本におけるフュージョン==
日本でのフュージョンブームは[[1970年代]]後半から[[1980年代]]半にかけて起き、個人頃数々フュージョン・ミュージシャンや、いくつかの[[バンド (音楽)|バンド]]グループが誕生活躍した。
 
国内アーティストでは高中正義や[[日野皓正]]が、FM局でたびたびオンエアされた。渡辺香津美も注目され、ベテランの渡辺貞夫もフュージョン・アルバムを発表した。
国内アーティストでは[[プリズム (バンド)|プリズム]]、[[T-SQUARE]]や[[カシオペア (バンド)|カシオペア]]、スペクトラムなどがあげられる。日本で知られるようになった国外アーティストとして[[シャカタク]]、[[メゾフォルテ (バンド)|メゾフォルテ]]、[[フルーツケーキ (バンド)|フルーツケーキ]]などといったバンドが誕生し、活躍したある。特にT-SQUAREは日本だけでなく、海外でのレコーディングやライブも積極的に行った。また変わったところでは、デビューアルバムでAORの[[角松敏生]]は、[[エグゼクティブ・プロデューサー]]に迎えた[[数原晋|TOKYO ENSEMBLE LAB]]や、自らは作曲・編曲・プロデュースに徹た上で国内外の著名[[ソロ (音楽)|ソロ]]ミてフュージシャを集めながらメ・バドのアル固定しないバンド形態とした[[堀井勝美|堀井勝美PROJECT]]も登場するなど制作した。
 
フュージョン・グループは、個々のメンバーが高い演奏テクニックを持つ[[器楽曲|インストゥルメンタル]]バンドならでは持っている。そ技巧を生かしたアルバムや、軽快かつポップ要素を取り入れた楽曲の、音楽がテレビ番組出演やのBGMに使用されたり、ライブ放映等動員により知名度フュージョン・ブーム盛り昇しがっていった。代表的な楽曲は、テレビ番組でのオープニング・エンディングや[[バックグラウンドミュージック|BGM]]の他に[[コマーシャルメッセージ|CM]]などでも盛んに使用された。特に、T-SQUAREの「[[TRUTH]]」やカシオペアはF1中継「ときめき」などはテレビ番組で盛んのテーマ使用されなった。
 
[[1990年代]]以降は[[J-POP]](歌謡曲)アーティストの台頭もあり、それらに比べると認知度は下がっているものの、根強い人気を保っている。また、[[2000年代]]以降でも、プリズム、T-SQUARE、カシオペアなどは、メンバーチェンジを繰り返しながら現在でも活動を続けている。
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* [[宮崎隆睦]]
; や行、ら行、わ行
* [[野獣王国]]
* [[渡辺香津美]]
* [[渡辺貞夫]]
|}
 
==出典/脚注==
{{Reflist}}
<references />
 
==関連項目==
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==外部リンク==
* [http://www.ongen.net/international/serial/tigerhole/jazzfusion/index.php フュージョン特集:ジャンル虎の穴【OnGen:国内最大級の音楽ダウンロードサイト】]
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書