「念 (仏教)」の版間の差分

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サティ (仏教)より複製
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[[仏教]]における'''念'''(ねん)は、以下のように多義的な意味で用いられる<ref>[http://kotobank.jp/word/%E5%BF%B5 念とは] - [[コトバンク]]/[[大辞林]]/[[大辞泉]]</ref>。
 
== sati, smrti能力としての念 ==
{{main|サティ (仏教)}}
 
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[[天台宗]]における最高の観法である「[[一念三千]]」にも表れているように、「ほんの少し、一瞬」「一回だけ」意識することを「一念」と表現したりもする。
 
==日本における「念」の受容==
日本のおいては浄土系の仏教が広まったことから念仏の行における南無阿弥陀仏という唱え言葉が一般的で、このことから「念」が「心に強く思う」という意味で理解されてきた。ただし、念仏はあくまでも念の一系統であり、古典的な意味での念というのは対象物を意識に常に途切れることなく留めるという意味が古典的な漢文経典でも見られる。
 
==脚注・出典==